境内で実際にあったことを物語る18枚の水彩画 住職の母親が伝えたい思い 長崎

原爆投下後、多くの人が水を求めて押し寄せた長崎市の穴弘法奥之院霊泉寺で、被爆時の境内での様子を描いた水彩画が展示されています。

爆心地から1.2キロ、標高130メートルにある穴弘法奥之院霊泉寺。原爆の爪痕が残り、湧き出る岩清水は、平和祈念式典で「献水」として使われています。

本堂では今月から18枚の水彩画が展示されています。

真言宗大覚寺派 穴弘法奥之院 霊泉寺 堤祐心住職:
「母が5歳の時にこのお寺の境内で被爆しまして、その模様をずっと絵に描いてですね、順番通りになってるんですけども」

描いたのは、住職の母で被爆当時、実家のこの寺で暮らしていた堤寛子さんです。

あの日、いとことままごとをしていた時に飛行機の音がして、母親の「逃げなさい」との声で弘法大使が安置されている岩穴に逃げ込みました。

布団をかぶって震えていた5歳の寛子さん。岩穴から出て目にしたのは変わり果てた金比羅山でした。

堤住職:
「これが岩穴から見た金比羅山の状態です。もう真っ赤っ赤に山が焼けてしまってたんですね」

寛子さんや母、弟、いとこは無事でしたが、自宅の梁の下敷きとなった祖母が即死。境内には、火の海から逃れ、水を求める人々が押し寄せました。

堤住職:
「だんだんだんだん(被爆)体験をした人が亡くなっていってしまってるんで、伝承したいっていうのもあったんでしょうね。この絵を見て、実際、その物がこのお寺の境内にあるので《この順番通りに、ここがこの場所だ》というのを実感できますから、よりリアルに感じられるんじゃないかなと思うんですけどね」

あの日、この境内で実際にあったこと──18枚の水彩画が静かに伝えています。

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