「1人じゃ乗り切れませんでした」人気占い師が語るハードなお仕事の裏側とは?【中編】

「新月満月HAPPY占い」で人気の占い師・山田ありす先生。実は、50歳目前にして占い師のキャリアに加えてクレープ屋を開業した(!)と聞いて、なぜクレープ屋?そもそもなぜ占い師と二足のわらじを?などの沸き上がる疑問にお答えいただきました。
前編では、占い師になった経緯や結婚生活の破綻を赤裸々に語ってくれました。2回目の今回は、恩師からの独立やハードだったテレビのお仕事の実態を語ってくれました。

↓前編はコチラから↓

★PROFILE★
2007年開業以来、1万人以上鑑定。占いは当てるものではなく人生を自力でハッピーにするためのツール。

●2013年~「読売Life」の月間占い・2021年~2022年占いブログみのり/著書 説話社12サイン×10天体×12星座キーワード事典 山田ありす・トリン共著

恩師に言えなかった「自分のお客さん」のこと

―すごくあたたかい先生だったんですね。

そうなんです。

占いの知識をつけていくと今度は「アルバイトしにこない?」とお声がけいただくようになりました。イベントや、講習会などがあると行っておいで!と。「そんな、私みたいなのには全然できません!」と言っても、「だいじょぶ、なんでも経験!」と豪快に言われて。なので、平日は派遣社員の仕事をやりながら、土日は占い師のアルバイトというような生活をしていましたね。

そのうちに、今度は「あなたは“雇われ”がたぶん合わないんだよ。開業の仕方を教えてくれるセミナーに行っておいで」と言われ、商工会議所などでやっている起業塾に通い始めたんですね。その延長で2006年に女性起業支援をしてる会社さんと出会うのですが、そこで一気に占いのお客さんが広がりました。

今までは先生に言われて、ただただバイトしに行く感覚だったのが、「自分のお客さん」に変わっていき、そこに割かなければいけない時間も増え、収入面でも存在感が強くなっていきました。なんとなく先生にそれが言えなくて、たくさんお世話になったのに最後はきちんとご挨拶ができない雰囲気でやめてしまったんです。お手紙を出して気持ちは伝えたものの、正直そこは今でも少し後悔してることです。(でもそののち交流は再開できました!)

地道な発信がテレビの仕事につながる…!

―その後、独立なさった?

はい。思い切って、独立をしたのが2007年。経営とか全くわかっていなくて(今もですが笑)、でも形は大事と思い、とりあえず事務所を借りてスタートしました。

旦那さんはそんな私を「ニートやん」と言ってましたが(笑)、ブログを更新したり、当時あまり占い師で開設している人が少なかった公式HPを作ってみたり…。とにかくできる発信はやっていましたね。

そうしたら、2010年にテレビのお仕事の依頼がきたんです…!

あとからわかったのですが、どうやらテレビのスタッフさんが私のブログを見てくださっていたみたいで、きっちり週1回以上更新していたので、これなら帯番組(毎日決まった時間帯に放映するニュース番組など)でもだいじょぶかなって思ってくださったみたいです。そのテレビのお仕事をきっかけに、旦那さんの私の仕事に対する視線が変わって、次第にニートだと思われなくなってきたんです(笑)。

とにかく起きても寝ても原稿漬けの日々に突入

―テレビのお仕事いろんな意味でハードそう…!

いや、本当に反響が大きくてありがたかった反面、正直めちゃくちゃハードでした!「おはよう朝日です」という関西ローカルの生番組で朝5時~8時の放映を40年間も続けている長寿番組で、占いのお仕事をいただけたのですが、1日12星座で各200ワードのボリュームを1週間分まとめて放映より半月前に提出する、というスケジュール。

占いの鑑定の間に書く。それでも終わらないから、事務所に寝泊まりして書く。さらにはプライベートの旅行先でも書く。そんな私を見て、旦那さんが次第に提出原稿の校正(誤表記がないか、前後の統一性があるかなど)を手伝ってくれるようになって、そしたら私も旦那さんに占いのこと教えなきゃ…となって、旦那さんも占いのお仕事の一端を担うようになってきたんです。

そうなってくると旦那さんは「自分がきちんと理解しないと人にも伝えられない」と、神戸の著名な占い師さんのところへ自主的に勉強をしに行き始めたんですよね。それで気づいたら彼もタロット占い師として、一人前になっていたんです。

―えー!!旦那さんも占い師になられたんですか!?

そうなんですよ(笑)。私よりきちんと勉強してたかもしれません。

良くも悪くも私は直感人間。後先考えずやってしまうタイプです。だから、テレビの連載のお仕事がこんなに大変なことだとも思いませんでした。もう1年ごとに辞めたいとぼやいていたのですが、旦那さんに「自分たちから辞めるのはやめよう、自分も手伝うから」とはげまされて、なんだかんだ「おは朝」のお仕事は10年間継続できました。

仕事の転機を作ったのは「更年期」だった

―2人3脚で続けられたんですね。

そうですね。おそらく旦那さんは物事を続けられないことがコンプレックスだった私をそれとなく諭してくれていたのかもしれません。

一方でテレビのお仕事をきっかけに新聞や雑誌など他のメディアの仕事もたくさん来るようになってその反響の大きさを目の当たりにしたのも事実。結果、旦那さんも占いの世界に引き入れることになりましたしね(笑)。

そののち、2018年頃旦那さんが違うお仕事をやることになって、占いから足を洗うことに。

そして2019年頃、今考えると更年期かもしれないのですが、私が体調不良に陥ってしまったんです。体力が続かない、あと目が劇的に悪くなってしまって。そういったことが重なって、10年間お世話になった「おは朝」を2020年に卒業しました。

その時痛感したのは、50歳を目前にしてやっぱり健康第一だ、と。体を動かしながら働くとか、何か人間らしい生活をしなきゃと思い始めたのです。

つづきは後編へ
健康的な働き方を目指したその先は?続きは後編へ


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