新幹線100系「最高時速230キロ化」へ走行試験(1988年)キャスターが試乗会で同乗したら「時速231㎞出てた!」【新幹線・東京~博多全通50周年⑤】

「東海道・山陽新幹線」記念すべき2024年度 50年前に何があった?

来年3月10日で、東海道・山陽新幹線は「東京-博多全通50年」を迎えます。

RSK山陽放送(1953年創業)は71年に渡る放送の歴史の中で、新幹線に関わる数多くの貴重動画を保存していて、「RSKイブニングニュース・YouTubeチャンネル」では、再生リスト「新幹線・貴重映像大集合」にてそのうち37本の動画を公開しています。

RSK山陽放送では、37回シリーズ(予定)で、その内容を画像を交えてインターネット記事として紹介していきます。

【1回目】
【2回目】
【3回目】
【4回目】

そして5回目の今回は、1988年の「100系スピードアップ!」です。

100系新幹線 当初は「0系」と同じ「最高時速220km」だった

阪神タイガースが優勝した1985年10月。でご紹介したように、これまでの丸っこいデザインの「0系」に対し、直線を強調した「ロングノーズ」の2階建ての新幹線「100系」が登場しました。

実はこの「100系」、デビュー当初はスピードは「0系」と同じく最高時速は220キロに据え置かれていましたが、「時間短縮」を目指してスピードアップを目指すことになったのです。

そして100系デビューから3年が経った、川崎球場・近鉄×ロッテのダブルヘッダー「10.19決戦」の前々日・1988年10月17日に、初めてスピードアップのための走行試験を行いました。この走行試験に、RSK山陽放送の島田博キャスター(美声)が実際に乗車してレポートしています。

(RSK山陽放送 島田 博キャスター)
「このロングノーズの新幹線(【画像①】)が、昭和60年10月から登場しました。2階建ての新幹線です。外観もかなりスマートな感じになったんですが、このスピードの方はこれまで同様、最高速度が220キロのまま据え置かれていました」

「JRでは、新大阪~博多間の時間短縮を図るために、さらに10キロのスピードアップを目指すことになり、今日初めて2階建て新幹線を使って230キロの走行試験を行うことになりました」

「初日の今日(1998年10月17日)は、岡山~姫路間を3往復して試験が行われます」

100系 いざ「最高時速230㎞」運転へ!走行試験スタート

【画像②】は、おそらく東京方面へ向けて岡山駅を出た直後、学南町付近を快走する100系です。

(RSK山陽放送 島田 博キャスター)
「車内には、鉄道総合研究所の職員やJR西日本の技術関係者およそ40人が乗り込み、振動・音・気密性・レールに加わる荷重などを細かくチェックしていきます」(【画像③④⑤】)

パネルは「229㎞」230㎞まであと1㎞ するとその時...!

そしてカメラは運転席へ...デジタル式のパネルは【画像⑥】のように時速230キロの一歩手前、「229」まで速度を上げていきます。

(RSK山陽放送 島田 博キャスター)
「岡山を発車した試験車両は徐々にスピードを上げていき、220キロ付近で一度固定し、その後、相生に到着する直前、目標の230キロに達しました」

来た!ついに【画像⑦】のように目標の「230」まで到達しました。やった、230キロだ!

と思ったその時…カメラは「まさかの数字」を一瞬だけ捉えていました。それが【画像⑧】です。

なんと1km/h オーバーの時速231キロ!よく分かんないけど、ま、いっか。これも試験です。ちなみに【画像⑧】のメモリをよく見てみると、100系って「時速300キロ」まで計測できるようになっていたんですね。

さぁ、「時速231㎞」の乗り心地は?

ちなみに初めて「時速230キロ(+1キロ)」を体感した島田キャスター、乗り心地はどうたったんでしょうか?

(RSK山陽放送 島田 博キャスター)
「スピードアップした場合、特に問題となる『2階建て車両の振動』なんですが、現在そのスピードが230キロ近く出ておりますが、振動という面ではあまりこれまでと変わりありません」

「乗り心地の方は、体で感じる限りその影響ないようです」

この走行試験の狙いは?当時のJRの担当者の方に、インタビューをしていました。

(当時のJRの担当者)
「実はこの車両は、国鉄時代にこれと同じ車両があり、『これ』については270キロ近くの試験も全部やっておりますのでね」

「走ることに関しての技術的な問題は、かなり進んでいるんですよ。ただ確認が必要であるということ、もう1つは騒音問題ですね」

「これ」って何だろう?【画像⑩】にある、例の「951形」でしょうか。鉄道に詳しい方、教えてくださいませ。

なぜ100系は「スピードアップ」に踏み切った?その背景には

そして、この「新幹線の更なるスピードアップ」を目指すのには、理由がありました。最後に島田キャスターが、端的に当時の状況をリポートしてくれていました。

(RSK山陽放送 島田 博キャスター)
「JRの狙いは、やはりこの『飛行機に取られたシェアの回復』なんですが、この230キロ運転によりまして、新大阪~博多間は約7分間短縮されることになります」

「この走行試験は明日(1998年10月19日)から岡山以西でも始まり、今月(1998年10月)21日まで行われます」

今でも時折岡山では議論になるのが、「岡山から東京へ...新幹線で行く?飛行機で行く??」です。

2024年3月現在では3時間10分を切る「のぞみ」も登場していますが、当時最速だった「ひかり」は東京~岡山間が3時間50分と、いわゆる「4時間の壁」ギリギリのところでした

どうやら各区間で飛行機との競争に勝つために、当時のJRは新幹線のスピードアップを迫られていたようです。そしてこの1988年以降、新幹線は「1分、1秒でも」と、どんどん速くなっていくのです。

そんな中、次回はちょっとスピードがダウンする話題です。スピードより居心地!「0系・青鼻新幹線って何だ?」を7月6日(土)に配信する予定です。お楽しみに。

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