1964年7月1日 、鹿児島空港から1機のプロペラ機が南の空へ飛び立ちました。奄美大島行、東亜航空(日本エアシステム/東亜国内航空の旧社名)コンベアCV240型機、鹿児島と奄美大島を結ぶ空路の初便です。
MBCの資料センターには当時鹿児島市鴨池にあった旧鹿児島空港で行われた記念のセレモニーを記録した映像が保管されていました。
鹿児島と奄美大島を結ぶ航空路線ができてちょうど60年。南の空を結んだ航空機を振り返ります。
路線開設と同じ年1964年に開かれた東京オリンピックの聖火輸送で一躍名を挙げた国産初の旅客機「YS-11型機」。19人乗りのドルニエ機を使用していたJACが、64人乗りのYS‐11型機を導入するのに合わせ、初めて客室乗務員の採用も行われました。
2006年9月に引退したYS-11。初の国産旅客機として、日本の空を飛び続けた名機の引退は、当時大きな社会現象となりました。
1988年新奄美空港開港とともに奄美の空にジェット化をもたらした「ダグラスDC-9シリーズ」、
1992年に日本エアコミューターに導入された北欧生まれの「サーブ340型機」、
スマートな機体とパワフルなエンジンが特徴的だった「ダッシュ8Q400型機」、
ブラジル生まれの小型ジェット「エンブラエル170型機」、
そして現在の南の空の主役「ATR42-600型機」、48人乗りの小型機です。ATRを運航するJAC・日本エアコミューターは、鹿児島空港を拠点に11機のターボプロップ機で鹿児島県内の離島や、西日本各地を結んでいる日本航空グループの航空会社です。
最南端の与論島まで南西諸島には数々の島々があります。その時代ごとの旅客機は、多くの旅行者を運び、島々に暮らす人たちの足として出会いと別れに立ち会ってきました。
60年間、南の空を結んだ往年の名機を振り返りました。
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