「反核9の日座り込み」40年 核廃絶へ世代超え結集 442回、長崎県内外に運動拡大

 被爆地長崎から核廃絶を訴え、被爆者や市民らが長崎市の平和公園で毎月9日に続けてきた「反核9の日座り込み」が9日、1979年3月の開始から40年の節目を迎えた。442回目となった同日の座り込みには、高校生を含む幅広い世代の約120人が参加。被爆地の思いを集結させて「核なき世界」の実現をあらためて誓った。
 「今では被爆体験者、被爆者、被爆2世、市民、労働者ら多彩な顔ぶれとなった。感無量だ」。県労評組織局長時代に座り込みを提唱した矢嶋良一さん(77)は、マイクを手に、この40年間を振り返った。
 座り込みのきっかけとなったのは、原子力船「むつ」の佐世保入港。抗議活動として79年3月16日に始まった労働団体中心の廃船運動は、平和祈念式典がある8月を除く毎月9日の反核運動として市民を取り込んでいった。浮き沈みする世界の核情勢に「期待」と「落胆」を抱きながらも絶えず訴え、現在は県内11地区13カ所のほか全国にも広がっている。
 矢嶋さんは「被爆県長崎はこれまでもこれからも世界に向かって核兵器廃絶を堂々と訴える必要がある。必ず核はなくなる」と参加者に継続を呼び掛けた。
 長崎の被爆者5団体の一つ、県平和運動センター被爆連の川野浩一議長(79)も「裾野を広げ、多くの人と連帯して反核9の日の座り込みを続けよう。核兵器が全てなくなるその日まで闘っていこう」と訴えた。
 3回目の参加という県立長崎北陽台高1年の田平彩乃さん(16)は、自身が取り組む核兵器廃絶への署名活動を報告。座り込みを終え、「一過性の運動とせず継続することで大きな効果が生まれる。核廃絶のゴールに向かって運動を広げていきたい」と話した。

長崎市の平和公園で市民が核廃絶を訴える「反核9の日座り込み」が9日、開始から40年を迎えた。442回目の座り込みには被爆者や高校生ら約120人が参加し、黙とうして「核なき世界」の実現を誓った=長崎市、平和公園
座り込みの参加者を前に、署名活動を報告する田平さん(左)=長崎市、平和公園

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