2020年度「現代の名工」 長崎県内から2人

翼を組み込み「技術を継承していきたい」と話す白石さん=長崎市飽の浦町、三菱パワー長崎工場(左)、父・廣治さんが遺した若田石で、亀甲模様の硯彫りに挑む岩坂さん=対馬市厳原町、芳秀堂

 厚生労働省は、工業技術や衣服、建設など各分野で卓越した技能を持つ人を「現代の名工」に選出している。2020年度は長崎県から硯製作工、岩坂治人さん、タービン組み立て・調整工、白石五千穂さんの2人が選ばれた。

◆タービン組み立て・調整工 白石五千穂(しらいし・いちほ)さん(57)=長崎市平山町=
ものづくり 「日々勉強」
 誠実に仕事と向き合い、着実に技術を磨いた。「自分が作るものは傷付けず妥協せず、自信があるものだけを渡す」。先輩の教えを胸に、火力発電所に設置される蒸気タービンの組み立て作業などに携わり約40年。「自分がもらっていいのかな」と控えめに表彰の喜びを語る。
 精密さが求められる作業だ。タービンの中心にある回転軸を中心に、放射線状に翼を手作業で組み込む。翼は大きくて約1メートル、回転軸1本当たり約3千枚にもなる。重量バランスなどを考慮し、翼の厚みを100分の1ミリ単位で削り、決められた枚数を収めていく。削る翼の位置や本数の判断を間違えると振動の原因になり性能が低下。ささいな傷でも大事故を誘発しかねず、実際に触って手の感覚で確かめる。熟練した技術が安定的な電力供給を支えている。
 島原市有家町出身。旧県立有馬商業高を卒業し、1981年に三菱重工長崎造船所に入社した。工業高卒の新人が多い中、珍しい商業高卒。「できなくて当たり前。できることを着実に自分のものにしていこう」。自分に言い聞かせて先輩に教えを請い、焦らず技術を習得してきた。
 現在は三菱パワー長崎工場で後輩の教育に当たるが、「日々勉強」の姿勢は変わらない。「新しい技術で新しいものを作っていかなければならない。製品の性能や品質を確保できるように技術を磨き、後進に継承していく」。ものづくりのプロの気概がにじむ。

◆硯製作工 岩坂治人(いわさか・はると)さん(81)=対馬市厳原町=
亡父の技法 復元に挑む
 対馬市特産の「若田石(わかたいし)硯(すずり)」職人だった亡父の指導を受け、半世紀近くにわたり硯を作り続けてきた。「これでようやく恩返しできる。父の技能にはまだまだ及びもつかないが今後も精進し、父の死後失われていた技能の復元につなげていきたい」と決意を新たにしている。
 硯作りの第一人者だった廣治(ひろじ)さん(雅号・芳秀(ほうしゅう))の長男として1938年、同市厳原町に誕生。戦後の食糧難で硯が売れる時代ではなく、大学進学をあきらめて公務員試験を受験。57年から約40年間、対馬や長崎、福岡などの検察庁で事務官や副検事を務めた。
 本格的に硯を彫ろうと思い立ったのは74年。廣治さんに促されて作ったところ、県展に入選。翌75年に廣治さんが71歳で亡くなるまでの約1年間、直伝を受け、同町若田地区で産出する堆積岩「若田石」の自然な風合いを生かした「木目(もくめ)模様硯」「鉄さび模様硯」など5通りの作風を確立。退官後の2004年、二代目「芳秀堂」を興し、07年から全国伝統的工芸品公募展に10年連続で入選するなど活動の場を広げてきた。
 一方、廣治さんの死後、製法が途絶えていた「亀甲模様硯」は、父の遺作を今夏入手。のみの彫り跡から製法を解明し、復元を試みている。「どの模様も数千万年にわたるきめ細かい泥の堆積が生んだ自然の造形。『こんな硯になりたいよ』という石の声に耳を傾け、彫っていきたい」とほほ笑んだ。

 


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