異国で仰ぎ見る月

 天を仰いで、はるか遠くを眺めれば-と奈良時代の人、阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)は望郷の歌を残した。〈天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出(い)でし月かも〉。あの月は、故国の春日にある三笠山から出たのと同じ月なのだ、と▲19歳で唐に留学し、やがて官僚として名を成した。帰国を望んだが唐に放してもらえず、許可が下りた時には50歳を過ぎていたという。月の歌は、その旅立ち前に詠んだとも伝わる▲悲しいかな、帰国の船は難破し、仲麻呂は唐の都・長安に戻った。再び故郷の空に月を見ることなく、唐で没したとされる。月の名歌は数あるに違いないが、この一首はことの外、故国への思いに満ちていて切ない▲北朝鮮の空に仰ぐ月にもまた、望郷の嘆きが注がれてきただろう。中学1年だった横田めぐみさんが新潟市内で北朝鮮に拉致されてから43年たった。母親の早紀江さん(84)は日本政府に「本気」の行動を求めている▲夫の滋さんは6月に亡くなった。その後、新政権に移り、菅義偉首相は「活路を開きたい」と拉致問題を解決する決意を語り、米国のバイデン前副大統領に「理解と協力」を求めたとされる▲北朝鮮の空に日本と「同じ月」を仰ぐばかりの歳月は、もう長すぎる。本気でやる覚悟がなければ、43年分も募りに募った望郷の念には応えられまい。(徹)

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