<いまを生きる 長崎コロナ禍> 国際結婚の女性たち 一時帰国後の安心と不安

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 新しい年が明けても、吹きやむことのない新型コロナウイルス感染拡大の嵐。外国人と結婚して日本を離れたものの、世界的大流行に伴い、古里・長崎に一時帰国した人たちがいる。収束の兆しすら見えない今、どんな思いで過ごしているのか。
 「日本は消毒の文化などが浸透しているし、安心して生活できる」。東彼川棚町の実家で、専業主婦の谷山智美さん(42)が語る。昨年夏まで家族とインドで暮らしていたが、インド政府のロックダウン(都市封鎖)を機に、日本に一時帰国することを決めた。

◆いつ戻れるか

 2015年、インド・ケララ州で手工芸品販売店を営むナジャール・アシフさんと結婚。2歳と4歳の2人の子どもや従業員ら10人と共同生活を送った。コロナの影響で昨年2月には夫の両親や兄弟も同居するようになり、約20人の大所帯に。家が広かったため「密状態」は回避できたが生活費はかさんだ。
 インド政府は昨年3月、ロックダウンを開始した。谷山さんによると、当初、情報が錯綜(さくそう)し人々は混乱状態。未知のウイルスへの恐怖心から、常に喧噪(けんそう)に包まれていた町はゴーストタウンと化した。政府の要請に応じ、夫も店を閉じた。貯金を切り崩し生活をしていたが「このままでは生活が立ちゆかなくなる」と焦り、家族4人で日本行きを決意。運よく出発の前日に査証(ビザ)を取得でき、飛行機に飛び乗った。
 実家の両親は快く受け入れてくれた。夫のナジャールさんは今、佐世保市内の鉄工所で働く。「インドに残した家族は心配だが、日本にいれば仕事がある。ここでの生活が安定すれば、インドの両親に仕送りもできるので日本に来ることができて良かった」
 「日本に帰って来られたことは幸運」と谷山さんは安堵(あんど)の表情を浮かべる。ただインドにいつ戻るのか、戻れるのか。予定は立っていない。

インドの様子を話す谷山さんとその子どもたち=佐世保市内

◆寛容な社会を

 佐世保市重尾町出身でフラワーアーティストのヒームストラ舞さん(45)も「一時帰国組」の一人。佐世保で知り合った二つ年上のオランダ人クレメントさんと25歳の時に結婚。16年、家族4人でオランダに移住した。
 オランダがロックダウンを実施したのは昨年3月。イベントなどで花を提供していたヒームストラさんは「仕事がゼロになった」という。まだ不慣れなオランダ語で生活情報を入手するのも遅れ、不安が募った。長崎で暮らす母親の体調が芳しくないことも心配の種だった。
 昨年10月中旬、単身、一時帰国。「実家の玄関に入った時の安堵(あんど)感と、出迎えてくれた父の声は一生忘れない」。ヒームストラさんはこう振り返る。その後、いったんオランダに戻り、昨年12月中旬に家族4人で再び帰国した。
 6歳と9歳の2人の子どもは今年3月まで、佐世保市内の小学校や幼稚園に通う予定だが、クレメントさんは仕事の都合でオランダに戻った。「心配もあるが、生活のことを考えれば、今はこれがベストの選択。子どもが日本の文化を学んだり、祖父母と過ごせたりするいい機会にもなると思う」と前向きに話す。
 グローバル化の進展により、人々が国境を越えて日常的に往来する世界はコロナ禍で一変した。ウイルス流入を食い止めようと、各国で入国制限措置が続く。さまざまな事情で日本に一時帰国ができず、不安な気持ちを抱えたまま、外国で暮らす日本人も大勢いるのかもしれない。
 ヒームストラさんは今こう考える。「こんな状況だからこそ、誰かに助けを求める力をつける必要があると思う。日頃からの人間関係作りや、患者に対する社会の寛容さも大切ではないでしょうか」

オランダの様子を話すヒームストラさん=佐世保市内