【昭和~平成 スター列伝】猪木と元日決戦 ローラン・ボックの末路

【写真上】判定に納得がいかないボック(左)と猪木(右)。中央は特別審判を務めたカール・ゴッチ【写真下】ロープ越しに猪木の首を絞め続けて反則負けに

【昭和~平成 スター列伝】新日本プロレスは今年も1月4、5日の東京ドーム2連戦でスタートを切った。1・4東京ドーム大会が定着したのは1992年から。その10年前の82年には、史上初の元日興行を後楽園ホールで開催して大きな話題を呼んだ。

タイガーマスクとダイナマイト・キッドによるWWFジュニアヘビー級王者決定戦、飛龍十番勝負第1戦として藤波辰巳(当時)がWWFヘビー級王者ボブ・バックランドに挑んだ大一番、アントニオ猪木とローラン・ボックの一騎打ちなど豪華カードがズラリ。テレビ朝日が「新春プロレススペシャル」として生放送し、中でも注目を集めたのは猪木とボックの一騎打ちだった。

78年、母国・西ドイツに猪木を招いて大規模なツアーを開催したボックは、3度の直接対決で1勝(判定)1敗(反則)1分け。日本では判定勝ちした試合が放送され、強烈なスープレックスで猪木を何度もマットに叩きつけるシーンは、ファンに衝撃を与えた。

83年の第1回IWGPリーグ戦に向けて、欧州代表として期待されたが、79年に自動車事故で負傷。その後は血栓症を患い、トレーニングどころではなかった。81年の来日時はコンディションがいいとはいえず、82年も体に張りがないように見えた。

それでもファンは日本で実現した猪木とのシングルマッチを、固唾をのんで見守った。ルールは5分10Rの「ヨーロッパ・ルール」。開始早々に豪快なスープレックスを決めて主導権を握るが、78年の対戦時のような切れ味はなく3R、アリキックや延髄斬りを食らって逆上。ロープ越しにスリーパーホールドを決めたまま離さず、反則負けを宣告された。

試合後「一回でカタがつく相手じゃないし、俺の82年の宿題になりそうだな」と話した猪木に対し、ボックは「3年前と比べ、猪木はうまさが出ているが、力では俺の方が上だ。次回は必ずKOしてみせる」と豪語。しかし突如、現役を引退してしまう。

血栓症の治療に専念するため、もともと猪木戦をラストマッチと位置づけていたことに加え、78年のツアーが大赤字だったために生じた金銭トラブルで有罪となってしまったのだ。

もし、ボックがIWGPリーグ戦に参戦していたら…。昭和の新日ファンには忘れがたいレスラーの一人だ。 (敬称略)

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