四の鳥居の一部確認 長崎原爆遺跡「山王神社」 調査検討委 史跡範囲考察に寄与

長崎市の発掘調査で確認された「四の鳥居」の一部=同市、山王神社(市提供)

 長崎市は8日、山王神社(坂本2丁目)境内を発掘調査した結果、出土した石造物が、被爆し倒壊した「四の鳥居」の一部だと判明したと明らかにした。柱や笠木、基礎部分に当たり、「四の鳥居」の部材だと確認されたのは初めて。市内で開かれた国指定史跡「長崎原爆遺跡」の調査検討委員会(会長・下川達彌活水女子大学術研究所特別教授)の会合で、市が報告した。
 調査は、「一本柱鳥居」として知られる同神社(爆心地から約800メートル)の「二の鳥居」を含む国指定史跡「長崎原爆遺跡」の範囲を拡大し、同神社の遺跡保存につなげることなどを目的に2016年度に着手。市は「史跡の範囲を考える上で大いに役立つ資料」としている。市によると、参道には被爆前、四つの鳥居があったが、「二の鳥居」以外は被爆などで倒壊。調査ではこれまでに「三の鳥居」の部材が見つかり、「四の鳥居」の発掘を進めていた。
 昨年6~10月の調査で、境内の被爆クスノキのそばの地中から石造物19点(最長約2.3メートル)を発掘。同神社への聞き取りのほか、古写真や市史の記述と照らし合わせ、「四の鳥居」の柱には文字が彫られていなかったことなど特徴が一致した。
 調査前から石造物の一部は地表に出ており、「四の鳥居」のものと見られていた。今回、調査で裏付けされた格好。今回の発掘場所は、被爆前に「四の鳥居」があった地点から約40メートル離れており、戦後、参拝客に配慮し人為的に移動させたとみている。
 下川会長(78)は「(出土した)鳥居を展示するなど検討が必要」と話した。市は今後、調査内容を国に報告し、見つからなかった石造物の調査も進める方針。

被爆前の1941年3月に撮影された山王神社「四の鳥居」の写真(右奥)

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