『私死んじゃうの?』あらかじめ胸をとるという選択  46歳、両側乳がんになりました70

検査・告知・手術・仕事復帰・・・誰かのお役に立てればと綴ります。

今回は・・・遺伝性乳がんについて、実際に診断された患者さんにお話を伺いました。(以前、私が遺伝子検査を受けた時の話はこちら→https://sodane.hokkaido.jp/column/202008041058000291.html

ご縁あってつながった、西田久美子さん、京都にお住まいの患者さんです。西田さんは遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)の診断を受けられ、胸と卵巣の予防的切除手術も受けられました。まずは、初発時、どうやってみつけたのでしょうか。

やっぱり、ご自分で感じた違和感でした。

西田:『お風呂上りで手があたった。何かあった、ホントにたまたまふれた。これはおかしいと直感的に。小さなクリニックに電話したら3か月先です!って言われて。自覚症状があったので、少しは早くしてもらえたものの、他の病院も混雑していて
最初の小さなクリニックが一番早かった。』
『エコーの瞬間に、前にいつ受けた?と言われて、2年に一回、でそろそろかなと思っていた、といったら、見逃されたかなと言われた。』とショックを受けたそうです。

そこから針を刺して、細胞を確認する”針生検”に。結果が出るまで落ち着かない日々が続いたそうです。(同感)出た結果、『紡錘細胞がん示唆する』との文字。
調べてみると珍しい、抗がん剤が効きずらい、切るしかないがんの一種でより一層
こわくなったと振り返ります。そのクリニックでは手術ができず、病院選びもすることになり、最終的には京都府立医大に。診断されてからのハイスピードに気持ちが追い付かなかったといいます。

西田:『CT検査のあと、転移なければすぐ切りましょう、と言われたら怖くないですか?そんなに(急がないと)やばいんですか?(紡錘細胞がんは)抗がん剤効かないし、進行早いと。(サブタイプは)ほぼトリプルネガティブであろう、とにかく切りましょう、という感じで・・・またトリプルネガティブを調べたら、死ぬのかな?どういうこと?気が動転している。ままならない、うつろ。とにかく怖くて、怖くて、あんでこんなことになったんだろうとパニックで・・・。』

西田さんのお仕事は教員。教え子の親御さんの中に医師の方がいて、お話聞いて、少し安心したといいます。

西田:『早期なので部分もできるよと言われても、少しでも減らして胸もなくなると考える余裕なく、生きなきゃ。こどももいて、まだ死ねないと。』

西田さんも私と同じく、お母さまも乳がんでした。

西田:『母が乳がん、もしかしたら気を付けねばと意識のどこかにあった。自分はならない変な自信、まだ先。と思っていた。でもある日突然、がん患者、なんでがんなの?悪いことしたっけ?といろんなこと思った。とにかく、人からかわいそうと言われるのが嫌、がんばって、も困る。いままでもがんばってきたのにまだがんばるの?何をがんばるの?とすねてました、一人で。』

乳がんの手術後の病理検査は、最初の細胞診よりも多くの細胞をとることから、タイプや進行度などが変わることがよくあります。西田さんは大きくみて、(紡錘細胞がんではなく)硬がんとみていいでしょう、と。でもトリプルネガティブなので、抗がん剤効くと思うのでやりましょう、と医師に勧められました。
言われたときにまた動揺が走ったといいます。

西田:『今度は抗がん剤するの?と髪抜けるやつだよね?と薬剤選択あるけど髪はぬけるし。周りの抗がん剤に対するネガティブなイメージがあるじゃないですか?身内にもいて、やめたらというひともいる。軽く言うけど誰も責任とってくれない。いろいろリサーチしていくと可能性が高いのは私の場合は抗がん剤、標準治療が一番エビデンスあるもの。ステージは1だったので、余計に悩んだ。返事したものの、受け入れていない自分がいて、がんであるのも受け入れられてないし、さらに切った胸の傷を見るのもイヤだった。』

西田さん、病院に行く度にボロボロ泣いていたそうです。するとがん専門看護師さんに少しお話しませんか?と言われ、精神腫瘍科の先生につながりました。
いわゆる”緩和ケア”というと末期になった際に受けるイメージをお持ちの方が多いかもしれませんが、それは違います。”緩和ケア”は最初からでもいいのです。西田さんは緩和ケアを勧められました。今、一番必要で、本当に大切なことだと思います。

西田:『治療とこころの治療、セットにしてほしい。がんと診断されたら、セットでカウンセリングルームいくくらいの。セット治療にしてくれないかな、と。』

『困ったら・・・がんの相談センターはあるけれども、うろうろしたけど入りにくかった。』と当時を振り返ります。

西田さんはHBOC(乳がん卵巣がん症候群)。BRCA2の遺伝子に変異があるとされました。病院から検査を提示されたのではありません。当時は、まだ保険適用外の自費診療でした。

”家族性乳がん”を存在を知ったのは京都で行われた乳がん学会の市民セミナーでした。

西田:『抗がん剤治療も終わって、まだできることがあるのかな、と。生きる道を模索したい。次できることなんだろう、次はなんだろう。と探した。食べるものも探したが、あれダメ、これダメとしていると何も食べられなくなって、栄養失調になっちゃう、これは生きていくために私には関係ないな、と思った。』

『遺伝性じゃないですか?主治医に聞いた受けることできるけど、自費だよ、と。検査で二十数万。どうするべきか、と迷って。主人はやりたければやればいい、と背中を押してくれた。』

※2020年の4月からは一定の条件を満たす人は保険適用に。私も受けたので、カウンセリングも含めてその模様はこちらで参考までに御覧ください。https://youtu.be/l1wH_iNf6P0

西田さんはBRCA2に変異ありとわかり、予防切除を決断されました。まだ手術も保険適用になっていなかったため、病院も対応が初めて。倫理委員会にかけるなど病院を挙げて準備をしてくださり、乳房と卵巣の同時切除手術に臨みました。

西田:『なんともないのに手術をするのは勇気がいる。次は予防的切除ができる、ひとつのゴールだったので。やりきった感があります。』

あ:『いまは無治療ですが、当時、教員のお仕事はどうされていたのですか?

西田:『抗がん剤をやっている間はちょこちょく顔を出す程度、終わったらすぐ復帰しました。予防切除の手術のあとはすぐに復帰。最初の手術はホントに泣いてたけど、2回は気楽で看護師さんと談笑しながら入って、手術室を観察しながら、余裕をもってうけていた。』

あ:『それは強すぎますよ』
西田:『がんじゃない安心感、安心感が増す、リスク低減の思いが強かった。でも人によると思う、まだ怖いという方もいるし、年齢的にも迷いなかった。』

西田さんのお子さんには女性がいらっしゃいます。遺伝子検査の予約をしていたそうですが、コロナ禍で延期になりました。西田さんが参加している、HBOCの当事者の会 クラヴィスアルクス https://www.clavisarcus.com/ は岡山大学で活動されています。岡山の信頼できる先生のところでお子さんにも受けてほしいと思っていたそうです。お子さんは現在は21歳と19歳、知っておいたほうがいいかと。男性にも乳がん患者さんはいらっしゃいますが、ご兄弟はあまりピンと来ていなかったといいます。人はどうしても遺伝の50%の確率であれば大丈夫な方を考えちゃうのではと話します。西田さんの乳がんを患ったお母さまは80歳の今でもご健在。検査や予防的な切除が必要なのかどうかがわからない、ともおっしゃていたそうです。

西田:『必要かどうかわからない、私もわからないじゃないですか。 確率が高いだけで絶対になるわけじゃない。他の部位になるかもだし、当事者会でも話すけど不確定要素は難しい。』

私は、BRCA1に何か異変があるかもしれない、でもわからない、VUS(意義不明のバリアント)と診断されました。将来、遺伝子の解析が進んだらBRCA1と言われる可能性はゼロではない、という状況です。正直、迷います。同時両側だったので、予防的切除な考え方にも似た形で念のため両側全摘しておいた事実をカウンセラーさんや遺伝学の先生にお話しし、少し不安が和らいだことを思い出します。

西田さんは教員です。コロナで延期となったがん教育は4月からです。当事者としてがん教育に向き合うことになります。どう感じておられるのでしょうか?

西田:『教員として、がん教育のレジュメをみたときになんだこれは、と。生活習慣が悪いからがんになったような書き方がメインで遺伝はほとんどないという書き方。ウイルスでなるがんもあるのに、触れられてない。これでやると子供たちは自分の生活が悪いからがんになったと思わないだろうかという懸念があって。』
『(すでにがん教育は始めていて)外部講師などに必ずお願いするのは自分の生活が悪かったわけではない。生活習慣が悪いから、がんになるという刷り込みだけはやめてとお願いしている。原因の中にはいくつかあって、どれだかはわからない、と。
当事者会(クラヴィスアルクス)では遺伝をがん教育にいれてもらえないかという動きをしている。昔は遺伝ってほとんどないでしょ、と言われていたが今はいっぱいわかってきている。正しい知識に接してほしい。小学校はいいけど主に中高ですね。理科の流れでも遺伝の仕組みから教えていけるのではと。』

遺伝子をあらかじめ調べる、という検査が増えていますが、このあたりの法整備はされていません。未病で遺伝子に変異があると診断された際の差別も出てくると不安の声もあります。

西田:『懸念は懸念、法整備に動いている人もいる。遺伝といえばすべて遺伝じゃないですか。DNAにはBRCA以外にもいっぱい遺伝子があって解析進んでいて、キリがない。何より、生まれてきた子の気持ちが入っていない。(遺伝子変異があったら)私は生まれてこなくていい存在になる。そうやって、選別していくんですか、人をと。何かあったら生きていてはいけないんですか?と。』

いじめや就職での差別、遺伝性乳がんだと、出産・妊娠・育児の問題も課題です。みなさんの正しい知識がないと、結婚ができない、さらには就職試験の際、がんになる可能性があるから雇わないようにするなど、その差別が不安視されています。
がんに限ったことではありませんが、知識と理解のない不寛容な方から言われなき差別ははびこっています。

あ:『余計な心配とか余計な偏見とか余計な差別、余計な心配に苦しむこと多いですよね?』

西田:『差別する社会にならないように法整備をしてほしい。』

現在、生命保険では告知義務はありません。様々な角度から”がん”に対する一般の人の理解も必要だと話します。

西田:『ならないとわからないことがある。なる前にステージ軽かったら、”早くてよかったね”って平気で言ってたなと。自分はステージ1でも怖いものは怖いし。治ったんでしょと言われたらがんには完治がないんですと。心の中に気持ちを飲み込みながら笑い飛ばす苦しさがある。”がんってなんなんだろう”と、きちんと学んでいく、幼少期から学んでいって治療の必要な治療を学んでいく必要がある。助けるのは正しい知識。周りに専門家とつながって、仲間と出会って正しい道に来させてもらったと思っている。やることやったと思える、やっとけばよかったと思わないように正しく子供たちに伝えていかなければいけないと思う。』と話してくださいました。

正しい知識と理解・・・なんにでも共通する今の日本の課題、です。

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