ナルハヤが現役を引退 梅田厩舎で「小さな小さな引退式」

梅田厩舎で行われたナルハヤの「小さな小さな引退式」

【赤城真理子の「だから、競馬が好きなんです!!!」】

(日時)2021年2月11日午前9時30分
(場所)栗東トレセンの梅田厩舎
「小さな小さな引退式」

参加者は梅田調教師、前原玲奈調教助手、加藤繁雄厩務員の3人。7日の関門橋Sを最後に現役を引退し、生まれ故郷の清水牧場(北海道平取町)で繁殖生活に入る厩舎の愛馬・ナルハヤ(牝7)を笑顔で送り出しました。

通算成績は36戦4勝。そのうち3勝は、6歳を迎えた昨年の1年間で挙げています。

「厩務員になってもう36年ほど経ちますけど、6歳の女の子が1年の間に1勝クラスからオープン馬になるなんて、僕は見たことがないです」

そう語るのは彼女を担当していた加藤厩務員。かつてはクラシック2冠馬メイショウサムソンを担当していた文字通り“ダービー厩務員”です。

「サムソンは06年に瀬戸口厩舎が解散した関係で、最後まで担当できなかった。それを考えればオープンクラスまで行った馬を最後まで担当できて、ケガなく無事に繁殖に上げられました。なんだか初めてひと仕事を終えた気持ちです」

そう語りながらナルハヤに最後の手入れを施す加藤厩務員の表情は、実に晴れやかです。

一般的な彼女のイメージと言えば、やはり“豪快な逃げ”、“俳優の陣内孝則さんの所有馬”、“藤田菜七子騎手とのコンビ”でしょうか。表には出ない彼女のチャームポイントを明かすなら、“おでこをなでられるのが大好き”だったこと。

前原助手は馬ごとに触られると気持ちいいポイントが分かるため、梅田調教師から「玲奈ちゃんは猛獣使いや。馬としゃべれてるんちゃうか」と言われるほど。本人によると、「ナル(ナルハヤの愛称)は馬が好きな鼻づらを撫でてあげても、大きな体をかがめて“ここ撫でて~”って、手のところまでおでこを持ってくるの」。

実際にやってもらうと、本当にその通りだったのでキュンとしたのを覚えています。そして、体調面で言うなら常に脚元に不安を抱えていた…という側面もありました。

「5歳の頃、蟻洞になってしまい半年くらい休んだんです。毎回、一生懸命に走る馬なので、その後もレース後は脚元がモヤモヤすることが多くて…気が抜けませんでした」(加藤厩務員)

私も厩舎の記者として何度も足を運ばせていただいたなかで、加藤さんが頻繁にナルハヤの脚を冷やしてケアしている光景を見てきました。それを「少しの気の緩みが起因して簡単に故障してしまうのが競走馬。何かあって後悔するのが怖かった。馬のために、なんて綺麗ごとは言えないです。完全に自分のためですね」とおっしゃっていましたが、その積み重ねがナルハヤを支えてきたのだと改めて感じます。

36戦のなかで、ナルハヤに騎乗した騎手は4人。デビュー戦は城戸義政騎手、3~4歳時の主戦だった柴田未崎騎手、そしておなじみ藤田菜七子騎手、2勝を挙げた浜中俊騎手です。

「勝った騎手だけが注目されがちですけど、ナルハヤはすべてのジョッキーがバトンを繋いでくれたおかげでここまで走れたと思う。城戸くんが競馬を教えてくれて、まだ走るかどうか分からなかった段階で“この子は走りますよ”と未崎くんが素質を見抜いて一生懸命に調教をつけてくれて、菜七子ちゃんと浜中くんが勝たせてくれた。競馬は点ではなく線なので、本当にみんなのおかげなんです」(加藤厩務員)。

藤田菜七子騎手は“当たりが柔らかい”ところがナルハヤにすごく合っていたそうです。加藤厩務員は「走る馬って背中が敏感なんですけど、菜七子ちゃんは馬の負担にならないポジション、体重の乗せ方がすごく上手いんです。脚元に不安を抱えたナルハヤにはそれが本当にありがたかった」と、名コンビのエピソードも教えて頂きました。

オーナーはもちろん、蟻洞になってしまった時に渾身のケアをしてくれた浅井牧場と彼女を育成した清水牧場。前原助手に梅田調教師、そしてナルハヤ…加藤厩務員の感謝の言葉はやみません。

長く長く様々な「ありがとう」を口にした後、最後にファンの皆さんへの感謝が続きます。

「僕はナルハヤが走れば実入りがありますけど、ファンの方々は必ずしもそうじゃない。勝つときも負ける時も応援し続けてくれる、それって本当に無償の愛だと思います。ファンの存在が支えになっていました。本当にありがとうございました」

馬運車に彼女を乗せた後も姿が見えなくなるまで、ずっとずっと見送っていた加藤厩務員。初年度にナルハヤとの交配が予定されているリオンディーズとの子が、また梅田厩舎に、そして加藤厩務員のもとに来てくれますように。月並みかもしれませんが、そう願ってやみません。

ありがとうナルハヤ。第二の馬生も、たくさんの人に愛されて、幸せでありますように。

© 株式会社東京スポーツ新聞社