桑田コーチが若手捕手につなぐ“藤田イズム”「先発完投」に女房役の教育は不可欠

【写真右】捕手の岸田に声をかける桑田コーチ【写真左】師弟関係にあった藤田監督(左)と桑田(1990年5月)

【赤坂英一 赤ペン!!】巨人・桑田真澄投手チーフコーチ補佐(52)の背番号73は、かつての恩師・故藤田元監督がつけていた番号だ。今月9日は15回目の命日だったこともあり、様々なメディアで改めて藤田さんの功績や思い出が語られている。

そんな藤田監督の投球哲学の要は「先発完投」。2回目の監督を務めた1989年に斎藤雅樹にNPB記録の11試合連続完投を達成させた。連覇した90年にはチーム70完投も記録している。130試合制の時代、実に半分以上の試合を投手ひとりでまかなっていたのだ。

それほど強力な投手陣をつくるには捕手の教育も欠かせない。藤田監督は当時、右肩を手術した村田真一(元ヘッドコーチ)を正捕手に育て上げようと、個人的にこう言って聞かせていたという。

「村田よ、捕手の仕事とはな、チームを勝たせることだ。勝つことだけを考えろ。うまいこと配球を組み立てようとか、いい打者をきれいに打ち取ってやろうとか、そういうリードなんかしなくてもいい。勝負どころではこの球だと、そういう強い信念を持って投手にサインを出してくれ」

その信念が感じられれば、たとえ打たれて負けても、藤田監督は村田を責めなかった。「村田に任せた俺の責任。村田のカンが鈍っていたなら俺がおまえを代えればよかった」と言うのである。

しかし、村田が配球に迷って打たれると、即座に異名の“瞬間湯沸かし器”となって叱責。例えば、満塁の場面で村田がシュートを要求して打たれると、藤田監督は村田を呼んで怒鳴りつけた。

「どうしてああいう球を投げさせたんだ! 俺にはわからん! レポートを書いて持って来い!」

村田はこのとき「シュートは見せ球。打者の体を起こしてから攻めようと考えました」と書いている。藤田監督はこれを「無謀で自分勝手な配球だ」と指摘したそうだ。

「一、二塁ならシュートもわかる。しかし、満塁だろう。シュートが死球になったら、押し出しで1点だ。コントロールに自信のない投手ほどそういう不安を抱く。それが投手心理というものだ」

この藤田監督の教えが、捕手としても指導者としても、村田の大きな財産になったのである。

桑田コーチも、現役晩年は若手捕手にキャッチングなどを積極的に指導していた。背番号73を背負った今、恩師のように捕手もしっかり教育してもらいたい。

☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。

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