苦渋の決断 SSK新造船休止へ<上> コロナ、競争激化で打撃

中核事業の休止という「苦渋の決断」を下した佐世保重工業。経営再建の行方が注目される

 1月15日。佐世保重工業(SSK)と、親会社の名村造船所(大阪市)のトップを兼務する名村建介社長(47)は、長崎県佐世保市内にいた。足早に市役所などを回り、朝長則男市長らと面会を重ねた。
 表向きの理由は「新年あいさつ」。ただ、新型コロナウイルス感染拡大「第3波」で、首都圏などに国の緊急事態宣言が発令されているさなかの訪問は、関係者の臆測を呼んだ。
 「不要不急の外出自粛が求められている中、なぜ来たのか。急を要する理由があるのではないか」
 的中していた。「新造船事業の継続は厳しい」。名村社長らはごく一部の要人に対し、事前に社の方針を伝えていた。
 それから約1カ月後の2月12日。SSKは佐世保市内で記者会見を開き、中核事業である新造船を2022年1月で休止し、艦艇修繕を柱に事業の再構築を目指すと発表。併せて250人規模の希望退職者を募ることも明かした。「従業員や協力企業を不安にさせてしまうのは痛恨の極みだ」。名村社長は会見で無念さをにじませた。

記者会見で新造船事業の休止について説明する名村社長=佐世保市内

 ベテラン従業員が深いため息をつく。「8年前に大規模なリストラに踏み切ったばかり。あの苦しみをまた押しつけるのか」
 08年のリーマン・ショック以降、国内造船業界は需要が低迷。中国、韓国との価格競争にさらされ、SSKは13年3月期決算で9年ぶりに純損益で赤字に転落した。経営改善策として、当時の従業員数の4分の1に当たる250人規模の希望退職者を募り、約200人が職場を去った。
 1946年10月の創業以来、幾多の困難に直面してきたSSK。生き残りを懸けて選んだ道が、名村造船所との経営統合だった。2014年10月、名村造船所の完全子会社となり、資材調達や船舶設計の一括化でコスト削減を図った。15年3月期決算で黒字に転じ、16年には増収増益を果たした。再建は着実に進んでいるように見えた。
 落とし穴があった。統合後、海外から計9隻の中型タンカー建造を受注したが、ギリシャの船主から想定以上に高い品質を求められた。塗装のやり直しなどで工期が遅延。玉突きで納期がずれ込む悪循環に陥った。人員整理で、熟練工の一部が希望退職していたことも裏目に出た。
 外部から多くの人材を調達し乗り切ったが、コストがかさんだ。結局、受注した9隻全てで採算割れする羽目になった。SSKは17年3月期以降、4期連続で1億2千万~126億円の赤字を計上。統合効果が完全に発揮される前に苦境に立たされた。
 そこに、新型コロナ禍が追い打ちを掛けた。コロナ禍と新造船休止の因果関係について会見で記者団に問われ、名村社長はこう答えた。「新造船需要の回復が先延ばしにされ、日中韓の競争に拍車が掛かった。今回の判断の大きな要素であるのは間違いない」

 旧海軍工廠(こうしょう)をルーツに持ち、戦後長く佐世保の経済発展を支えたSSKが「看板事業」とも言える新造船を休止する。この決断が果たして真の再建につながるのか。SSKの実情や業界の情勢を追った。


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