『夢のまた夢の甲子園』 数多くのスポーツ実況担当 秋山アナウンサー(大崎高OB) 「アルプスで同窓会を」

秋山浩志氏

 2006年夏の甲子園決勝。田中将大(楽天)と斎藤佑樹(日本ハム)の両エースの熱投で引き分け再試合となった駒大苫小牧(北海道)-早実(東京)は、球史に残る名勝負だった。当時NHKでその試合を実況したのは、今年の選抜高校野球大会に初出場する大崎出身の秋山浩志アナウンサー(64)。現在もNHKグローバルメディアサービスのチーフアナウンサーとして数多くのスポーツ中継を担当するベテランに、母校の悲願達成や古里の思い出、これからの期待などを聞いた。

 -大崎の甲子園初出場について感想を。
 生きている間にまさか母校が甲子園に出るとは夢のまた夢。生きていて良かった。OB会長が中学時代にバッテリーを組んでいた同級生で、19年秋に佐世保地区新人戦で勝ったと連絡があった。「夏はコールド負けしてなかったっけ?」と驚いた。それからポンポンと県で優勝して九州出場。その年は負けちゃったけど、佐賀に観戦に行き、こりゃ本物だと感じた。
 清水央彦監督とは清峰で教えていたころからの付き合い。傾向と対策をしっかり分析して勝ち方を知っている監督。大崎に来て強くしてくれるとは思ってもみなかった。

 -自身が島で過ごしていた当時の思い出は。
 大島東中2年の時に炭鉱が閉山した。学年に280人くらいいたが、あっという間に友達が島から出ていった。夏休みに毎日のように桟橋に見送りに行った。(船で別れる時に流す)「蛍の光」のレコードが擦り切れるほどだったとか。9月に学校が始まった時は90人くらいになっていた。多感な年頃。好きな女の子もいて、さみしかった記憶がある。
 僕も野球少年で、大崎でも野球部に入ったが、進学クラスで成績ががた落ち。進学か野球か半ば強制的な感じで迫られて進学を選んで、野球は挫折した。でも、野球が本当に好きで、補習もサボって旧平和台球場(福岡市)によく足を運んだ。大学で東京に出て、高校の日本史の先生になろうと教育実習で母校に行って野球部にも顔を出した。結果的には野球好きが今の仕事につながっていった。

 -06年夏の決勝をはじめ、甲子園で数多く実況してきた。
 甲子園のラジオ実況がスポーツアナウンサーの登竜門。自分のデビューは1986(昭和61)年春の池田(徳島)-福岡大大濠だった。スポーツアナウンサーとして自分のバロメーターになっているのが入場行進。何回見ても甲子園のライト側の門から選手たちが入ってきた瞬間、背中に電気が走る。「よく負けずにここまで来たね」という思いと共に。その電気が走るうちは感性は落ちていないな、と。

2006年夏の甲子園決勝をはじめ、数多くのスポーツ実況を担当している秋山アナウンサー=2016年8月の甲子園中継

 06年夏の決勝は今も鮮明に情景を思い出せる。試合自体が良かったからそこに乗っかって、熱気や雰囲気をそのまま伝えていけばいいと思って2日間実況した。こんなにも面白い競技はないぞ、少しでも野球をやる子が増えてくれれば、という期待を込めて甲子園の実況をやってきた。

 -あらためて母校や古里への思いを。
 廃校や分校の危機があった暗いトンネルから、野球部の活躍で一つの光を見た。選手たちは出ることじゃなくて勝つことが目標だと言っている。もう一つランクアップして、甲子園で暴れてほしい。ぜひ、強いチームに勝って旋風を巻き起こしてもらいたい。“野球学校”にはなってほしくはないが、全国的に飛び抜けた選手がいない中、鍛えて鍛えて、甲子園常連チームになってほしい。
 甲子園のアルプスで同窓会をしようと盛り上がっている。出場決定後、清水監督にメッセージを送ったら「一応、場所は確保しました」と返信があった。涙が出てきた。

 【略歴】あきやま・ひろし 西海市の崎戸町生まれ、大島町育ち。大崎高、国学院大卒業後、1981年にNHK入局。スポーツ実況を中心に五輪は夏5大会、冬2大会、サッカーワールドカップは3大会を担当。早実(東京)が優勝した2006年夏の甲子園決勝や数多くのプロの名勝負を実況した野球をはじめ、宮里藍の05年日本女子ゴルフオープン初優勝など幅広い競技を伝えてきた。現在はNHKグローバルメディアサービスでプロ野球や米大リーグ、ゴルフなどの中継を担っている。横浜市在住。


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