被災地からのメッセージ

 「家も何もありません」「私たち何か悪いことしたの? それが一番悔しいの」「原発が憎いよ、ほんとに」。10年前の取材ノートには福島県南相馬市の避難所で聞き取った無数の訴えが走り書きされている▲東日本大震災と原発事故で混乱する福島に入ったのは2011年4月10日から8日間。同僚と2人、被ばく医療の拠点福島県立医科大付属病院と、長崎県医師会が活動する医療崩壊地域に分かれ取材を進めた▲避難者の多くが着の身着のままで放射線被害と余震におびえていた。津波にのまれ材木につかまって助かった女性は財布も携帯電話も失い、家族の安否を知る術さえなかった▲震災は経験のない複合災害だった。とりわけ核被害に遭った福島で被爆地長崎の経験や知見を生かせるのかというテーマに本紙はこだわってきた▲今年、元日付紙面に載った若手記者の福島ルポでは、汚染土入りの袋を積んだ大型トラックが行き交う荒涼とした風景に、人生の立て直しを諦めかけた避難者の姿を重ねる場面があり、改めて復興の道のりの険しさを思った。同時に、最初に現地取材してからこの10年、私は福島の苦悩に目を向け続けてきただろうか、とも▲「忘れないことが復興につながる」。ルポで紹介した若者の言葉が被災地からのメッセージとして胸に響いた。(貴)

 


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