「犠牲者」扱い

 あまりこだわらなくてもいいかと思いながらも、使うのをためらう言葉がある。「犠牲」という単語をいくつかの辞書で引くと、どれも説明の頭に〈(1)いけにえ(2)ある目的のために命をささげて尽くすこと〉などの語義が並ぶ▲説明の後ろの方には〈自分の意志によらず戦争、天災、事故の巻き添えになること〉と、よく用いられる意味も載っているのだが、(1)や(2)の語義がつい頭をよぎり、うかつに「犠牲になった」とか「犠牲者が出た」とは使えずにいる▲〈世界の平和と安定に寄与した人々の貢献をたたえる〉。米国務省はマーシャル諸島の国民に対し、こんな報道官声明を出した。1940年代~50年代に67回の核実験がなされた諸島の人々に「敬意」を表したらしい▲多数の被ばく者を生み、故郷を追われた人も数知れない。54年3月1日のビキニ環礁での水爆実験では、日本の漁船「第五福竜丸」も死の灰を浴びた▲健康な体を奪い、命を奪い、生活を奪い、環境を壊す。核実験の結果はこれに尽きるが、声明はその過去を奥にしまい込み、諸島の人々が平和のために命を差し出し、ささげたかのように、事実をすり替えているに等しい▲人々はいけにえではない。それなのに一方的に「犠牲者」と見なして称賛する。どこかしら命が軽く見られていないか。(徹)


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