現行の少年法は敗戦から3年後、1948年に公布された。大正期の1923年に施行された旧少年法に比べ、多くの異なる特徴を持っているが、メディアに対する規制もその一つである。一言で言えば、メディア規制は旧少年法よりも大幅に緩くなった。
ところが、このたび国会に上程された改正案は、この規制をもっと緩和して、少年事件報道の重要な部分において、メディアの自由裁量を認める。改正案の提案者は、メディアをよほど信頼しているのだろうか。それとも意図は別にあるのか。(47NEWS編集部・共同通信編集委員=佐々木央)
▽匿名は少年保護と更生のため
メディア規制は少年法61条に定められている。条文を引く。
第61条 家庭裁判所の審判に付された少年または少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事または写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない。
出版物に「当該事件の本人であることを推知することができるような記事または写真」を掲載することを禁じている。「推知することができるような」とあるので、一般に「推知報道の禁止」と呼ばれる。新聞や本・雑誌だけでなく、時代に即してテレビやラジオ、インターネットメディアにも、この禁止は及ぶ。
未成年で事件を起こした人を「少年A」とか「少女A」と呼ぶのはこれに由来する。
これによってメディアはしばしば批判の対象となる。悪いことをした少年を、なぜ匿名にして、かばっているのかと。この点については、日本新聞協会の「少年法第61条の扱いの方針」(1958年)が分かりやすい。
「少年法第61条は、未成熟な少年を保護し、その将来の更生を可能にするためのものであるから、新聞は少年たちの"親"の立場に立って、法の精神を実せんすべきである」
法の目的は「未成熟な少年の保護」と「少年の更生を可能にするため」である。メディアもそれを理解し、自主的に自らの手を縛っているのだ。
▽旧法なら少年事件報道なし?
旧少年法はどうだったのか。74条に同趣旨の規定がある。
第74条 少年審判所の審判に付せられたる事項または少年に対する刑事事件に付き予審または公判に付せられたる事項はこれを新聞紙その他の出版物に掲載することを得ず。(現代仮名遣いに改めた)
旧少年法には「推知」の文字はない。また「氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等」という例示もなく、審判・予審・公判に「付せられた事項」が対象である。およそ少年事件そのものの報道を禁じていると解される。禁止の範囲はずっと広い。
旧少年法74条は続く第2項で、第1項の禁止に違反する行為(報道)に対し、1年以下の禁錮または千円以下の罰金を科すと定める。罰則のない現行法に対し、刑罰をもって法の実効性を担保している。禁止の強度もはるかに強い。
旧少年法が維持されていれば、わたしたちは特異な少年事件の多くを知らずに過ごしてきたかもしれない。
このたびの少年法改正案は、この点をどうしようとしているのか。
20歳の誕生日のとき「これからは悪いことをすれば名前が出るんだぞ」と言い聞かされた人もいると思う。成人としての自覚を促す言葉だが、法改正後は18歳の誕生日のときに、それを言う必要があるかもしれない。
▽逆送・起訴は大幅拡大へ
改正案は多くの点で、18歳と19歳を成人並みに扱う。20歳未満で事件を起こしたら、警察や検察の捜査を経て、家裁に送られる。そこまでは変わらない。しかし、その後が違う。18歳・19歳の場合、検察に戻されて起訴され、刑事裁判にかけられる可能性がぐんと高まるのだ。
現行法で、家裁から検察官に送致され(逆送)、起訴されるのは、原則として16歳以上で「故意の犯罪行為により被害者を死亡させた」場合だ。殺人や傷害致死が該当する。
ところが改正案では、18歳・19歳の少年については「法定刑の下限が1年以上の懲役・禁錮の罪」に当たる場合まで拡大することになる。具体的には、強盗や強制性交、現住建造物放火、組織的詐欺などが含まれてくる。
どれも凶悪犯罪だと思いがちだが、実態を見れば、先輩に頼まれて断れずに手伝ったとか、盗みに入って見つかり、突き飛ばして逃げたといったケースもある。それでも、検察に逆送された18歳・19歳は、例外なく起訴されて刑事裁判を受けることになる。
現在の61条は、起訴されたら実名報道解禁とは定めていないので、どんなに重大な事件で逆送されても、判決確定まで匿名が貫かれている。しかし改正案は、18歳・19歳の場合、起訴時点で推知報道の禁止を解除することにした。つまり、実名や写真を報じてもよいことになったのだ。
▽例外的なら人権侵害も許容
前述した新聞協会の方針によれば、少年を匿名にする理由は、少年の「保護」と「更生」のためだ。更生の意味は明確だが、保護とはなにか。少年の何を、何から守るのか。
事件が起きれば、メディアはその情報を社会に届ける。そのとき、記者個々にそれぞれの思い入れはあっても、客観的に報じるのがルールだ。しかし、その情報は人々に驚きや怒りや憎しみ、被害者への同情といった感情を引き起こす。実名報道を選択すれば、そうした社会の感情の集積が、加害者に向かい、社会的制裁と呼ぶべき行動や、差別・排除につながっていくことも少なくない。
改正案の策定者は、実名報道のこうした機能をどこまで理解しているのだろう。いや、18歳と19歳に社会的制裁が発動されることを期待したからこそ、実名解禁に踏み込んだのか。
実名を選択した場合、メディアにとっては実務的に解決困難な問題も生じる。
起訴された少年について、裁判で「やはり刑罰でなく少年法の枠組みで更生を図った方がよい」と判断されることがある。その場合、もう一度、家裁に移送され、少年審判を受けることになる。少年法55条がそれを認めている(55条移送)。
そのとき既に、実名や写真が報じられていたら、どうなるか。「取り消す」と宣言したところで、効果は薄い。それどころかネット時代であるから、その情報はほぼ半永久的に消えず(デジタルタトゥー)、少年につきまとい、生きづらくするだろう。その責任は負えるのか。
この法改正を審議した法務省の法制審議会で、弁護士の山下幸夫さんがこうした懸念を指摘した。ところが法務省側は55条移送を「あくまでも例外的な事象」などと述べて退けた。重大な人権侵害の危険があっても、例外的だから考慮しないでいいという姿勢は、人権を侵害される人への想像力を決定的に欠いている。人権というものの根本についても、無理解・無思慮というほかない。
その他の改正点も、18歳・19歳の非行少年たちを切り捨てるような内容が並ぶ。大人になろうとしてもがく人たちに、このたびの改正案はあまりにも冷たい。
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