【追う!マイ・カナガワ】開港記念日なぜ休み?(上)横浜転居の保護者から疑問

2019年の開港記念日には4千発の花火が打ち上がったが、昨年、今年はコロナ禍で中止に(立石 祐志写す)

 「横浜市の小学校では、なぜ開校記念日でなく開港記念日が休みなのでしょう」。6月2日の横浜開港記念日を巡り、保護者から「追う! マイ・カナガワ」に疑問が寄せられた。県西地域出身の記者は横浜で開港記念日が休みになるとは知らなかった…。休みとなった背景を探ると、寒村から国際都市へと変貌を遂げたハマの原点が見えてきた。

◆花火大会や祝賀イベント

 1859(安政6)年の開港を機に、日本の貿易拠点となって発展した横浜。市内では毎年、6月2日に「横浜開港祭」の花火大会をはじめ、記念式典や祝賀イベントが開催される。

 市立小中高校などは一斉に休みとなり、この日の前後には各校で開港期の講話を聞いたり、森林太郎(鴎外)が作詞した「♪わが日の本は島国よ」「あらゆる国より舟こそ通え」の歌詞で知られる横浜市歌を歌ったりするのが一般的だ。

 投稿を寄せたのは結婚後、横浜に転居したという女性(42)。子どもの小学校が開港記念日に休みとなる風習を不思議に思っており、「横浜では常識のようですが…」と戸惑う。

 自身が幼少期を過ごした東京都内では、学校の創立記念日が休みで、「すいているテーマパークに行くのが楽しみでした」という。

 いつ学校休業日になったのか。市や市教育委員会に尋ねると、100年以上前の市会の記録を見せてくれた。

 そもそも開港記念日は7月1日だったようだ。開港60周年が近づいた1918(大正7)年に機運が高まったのか、市が休日に制定。市側が当時、「横濱市ノ謂(い)ハバ誕生日デゴザイマス」などと制定の狙いを説明した記録が残る。

◆7月1日から6月2日に

 1918(大正7)年、横浜市の休日として制定された開港記念日。28年の市会で旧暦を採用することが決まり、以後は現在と同じ6月2日に変更された。その経緯について横浜開港資料館の青木祐介副館長(48)は「7月1日だと梅雨のまっただ中で、いろいろな行事が雨でたたられた─など当時の議事録にある」との事情を説明する。

 同館にも細かな記録は残っていないが、戦時中は休日扱いが中断されていたとみられる。開港100周年のころに再び、学校休業日となった。

 新型コロナウイルスの影響で一斉休校があった昨年は異例の授業日となったが、今年も休業日となる見込みだ。市教育委員会の担当者は「次代を担う子どもたちに横浜の歴史や文化に関心を高めてもらいたい」と休日の意義を強調する。

© 株式会社神奈川新聞社