上越の中心都市を実現しようと、高田直江津青年会議所などが推進活動を展開した一方で、「時期尚早」と〝待った〟をかける動きもあった。賛否両論相半ばしてかんかんがくがくと議論が闘われ、賛成推進、慎重反対の市民運動、それを阻止する動きも強硬に行われた。
当時の「高田・直江津市議会の解散を求める市民の会」は、「なぜこんなに合併を急ぐのだろうという不安の声が高まっている。両市の長い歴史と伝統を閉じるには、あまりにもお粗末」「合併問題こそ、市民に意志を直接、聞かなければならないのに、公聴会も対話集会も開かず、一方的に議会が先行してしまった」「わずか3カ月半の短いスピード審議で市民の声が反映されていない」として、市議会の解散を求める署名運動を起こした。
当時、市民の会の事務局を務めた元上越市議の本城文夫さん(80)は「市民を置き去りでいいのか。両市議会は市民の意向を聞く必要ある」と運動に至った理由を話す。
高田市で署名1万6932人、有権者の3分の1以上という法定数を上回ったが、重複などもあり請求の効力が発生しなかった。直江津市は1万2870人が集まり、リコール投票となったが、わずかの差で議会解散は成立しなかった。「リコール運動が合併問題の出発点」と振り返る。
本城さんは昭和47年、合併後最初の市議選で当選し以来11期、44年間市議を務め、歴代5人の市長と対峙(たいじ)してきた。長い間、市政を見てきた経験から「市民生活を中心に行政の継続性が大事」と指摘している。