【ダイアモンド☆ユカイ 昭和ロックを語る時が来た!:エディ藩編】「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド☆ユカイ(59)が、ゲストを招いて昭和の日本に巻き起こったロックムーブメントをひもとく。ゲストは伝説のバンド「ザ・ゴールデン・カップス」のギタリストとして活躍したエディ藩(73)。ついにカップス結成と、あの名ベーシスト誕生秘話が語られる。
ユカイ ゼムが大好きだったデイヴ平尾さんが、アメリカから帰って来たら、ラヴィン・スプーンフルみたいな格好になってたんですか。長めの髪にボーダーのロンTみたいな感じですかね。
エディ 平尾とマモル(マヌー)がいて、他のメンバーはアイビーカットの大学生でね。演奏は悪くなかったんだけど、「どう?」って聞かれたから、「音はいいんじゃない。ただ、音楽はイギリス系だから、スタイルがちょっと違うよな。見た目も大事だよ」と言ったんだよ。そしたら平尾が「じゃあ、お前うちのバンドに入ってメンバー探してくれないか」って。
ユカイ そういう流れから合流したんですか。全面的に信頼されていたんですね? メンバー探しはどのように?
エディ いつも遊んでたブッチ(ケネス・伊東)、まーちゃん(ルイズルイス加部)をピックアップして、ちょうどあいつらと会った時に「アルバイトやんないか。ゴールデンカップで」って誘った。あいつらは「あそこ怖くねーか。米兵の客がしょっちゅうケンカしてるところだろう」って言ってたけど、「そういうトラブルにならないヤツ知ってるから大丈夫」とか言ってさ。「ひと月、20万円ぐらい稼げるから」って。
ユカイ 20万円! 当時の貨幣価値からいったら、かなりの額じゃないですか。
エディ チップも含めてね。給料制だったけど、チップの方が多かったよ。米兵はドルでくれたから。多い時は5人合わせて一晩で100ドルぐらいチップがあったよ。
ユカイ 1ドル360円の時代だから、3万6000円。5人で割ったら7200円…。
――1967年の大卒上級(甲)国家公務員の初任給は2万5000円ほどです
ユカイ バラつきを考えても、4、5日分ほどのチップで人の月給分ぐらい稼げたんですね。で、ドラマーはエディさんはジョニー野村さんを入れようとしたけど、平尾さんがルックスのいいマモルさんを選んだと(連載第3回参照)。
エディ 野村を入れたら音はもっとすごかったと思うけど、マモルが歌ってアイドルとして売れたから、どっちが良かったかわからないね。
ユカイ ルックスって大切なんですね。でもマモルさんは歌もうまかったじゃないですか。
エディ うまいというか、ロックボイスじゃなかったかな。ロッカバラードとか、ポップスはすごくいいと思う。
ユカイ 加部さんの“絶叫ベース”は、エリック・クラプトンもいたクリームのジャック・ブルースに影響されてますか?
エディ あいつはもともとギタリストで、ベンチャーズのコピーとかやってて、「速弾きのまーちゃん」と言われるぐらいすごかったんだよ。俺とブッチがギターでマモルがドラム。ベースがいない。ブッチと相談して、まーちゃんにベースを頼んだら「俺、ベースでいいよ」って受けてくれた。ダメだったらブッチにベースをやらせて、俺とまーちゃんでギターってのも考えてた。
ユカイ あっさりOKしてくれたんですね。そこからあんなにすごいベーシストに。
エディ 最初は我慢してやってたんだけどね。ベースって地味じゃない。でもまーちゃんはもともとキンクスやヤードバーズが大好きでさ。ギターを弾きたかったから、ベースをギターみたいにヤケになって弾いてて、そしたらそれで有名になっちゃった。
ユカイ 何が幸いするかわからないですね。
エディ 楽器は才能があるヤツがやらないとうまくならない。歌もそうだね。
ユカイ 才能とは、選ばれし者なりけり。
☆ダイアモンド・ユカイ 1962年3月12日生まれ。東京都出身。86年にレッド・ウォーリアーズのボーカルとしてデビュー。89年に解散後、数度再結成。