第1声を発した人

 家々を訪ねてはバラの花を売り、運営資金に充てる運動が長崎市に起きた。被爆者の山口仙二さんから生前、そう聞いたことがある。今から六十数年前、自治会の人や主婦が原水爆禁止運動に共感し、動いてくれたという▲1954年、米国の水爆実験で日本の漁船、第五福竜丸が被ばくしたのをきっかけに、原水禁運動が沸き起こる。ずっと病気がちで、口を閉ざしていた山口さんたちは55年10月、長崎原爆青年会をつくった▲その少し前、「原爆だより」の発行を始めたのが長崎原爆乙女の会で、これが長崎で初めての被爆者団体となる。原爆で下半身が不自由になった故渡辺千恵子さんらとともに会を結成したうちの1人、辻幸江(ゆきえ)さんが95歳で亡くなった▲被爆者が肉声を発する活動の原点だろう。55年夏の第1回原水禁世界大会で、辻さんは被爆の惨状を語り、その声は日本中に広がったという▲70年の平和祈念式典では「平和への誓い」を述べ、「政府は率先して原爆の実態を世界中に知らせる義務がある」と訴えた。会場では〈共感の拍手が爆心地の空にこだました〉と当時の本紙は伝えている▲もともと自分から前に出ることはない、控えめな人だったという。それでも、心の叫びを声にするしかなかったのだろう。“第一声”は時を超えてずしりと重い。(徹)

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