雲仙・普賢岳大火砕流 きょう30年 島原で5年ぶり追悼式へ

大火砕流から30年となるのを前に約2400の明かりをともした追悼行事「いのりの灯」。家族連れらが鎮魂の祈りをささげた。後方は平成新山=2日午後7時58分、島原市の雲仙岳災害記念館

 消防団員ら43人が犠牲になった1991年の雲仙・普賢岳大火砕流から3日で30年。甚大な被害が出た長崎県島原市では追悼行事や小中学校での「いのりの日」集会などが営まれる。住民や子どもらは災害の記憶や教訓の継承を誓う。同市は午前10時から、追悼式を仁田団地第一公園(仁田町)内の雲仙普賢岳噴火災害犠牲者追悼之碑前で5年ぶりに開き、遺族らが参列する。
 同碑前と消防殉職者慰霊碑前(平成町)には献花所を設置。大火砕流が発生した午後4時8分、防災行政無線でサイレンを鳴らし、市民に黙とうを呼び掛ける。安中地区町内会連絡協議会も北上木場農業研修所跡で犠牲者を追悼する。
 「いのりの日」を前に2日夜、同市内では追悼行事「いのりの灯(ともしび)」が雲仙岳災害記念館(平成町)で始まった。島原半島の小中学生らが絵やメッセージを添えるなどしたキャンドルや紙灯籠、計約2400本に点灯。明かりでかたどった「未来へ」などの文字や、祈りなどをイメージして配置された光の模様が夜を照らした。訪れた市立大三東小3年の吉田藍斗(あいと)君(8)は「災害がもう起こってほしくないという思いを込めた」と話し、緑豊かな普賢岳を描いた自作のキャンドルをともした。例年は6月3日のみの開催だが、新型コロナウイルス感染防止のため参加者の分散を目的に、2~4日の3日間開く。
 普賢岳は90年11月17日、198年ぶりに噴火。93年6月23日の火砕流と合わせ、計44人が犠牲になった。同市の避難者は、最も多い時期で7200人以上。96年6月に「噴火終息宣言」が出された。噴火活動で形成された溶岩ドーム(平成新山)を含む約950ヘクタールは今も警戒区域。


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