【プロレス蔵出し写真館】「夢もプランも山ほどある」大仁田厚の真骨頂 日本初“洋上マッチ”で溺死寸前

FMWで日本初の洋上マッチが行われた(90年7月、宮崎・日南市油津港特設リング)

〝邪道〟大仁田厚が立ち上げた「FMW-E」の旗揚げ戦「インデペンデンス・デイ」が7月4日、神奈川・鶴見青果市場で開催される。

メインの「地獄デスマッチ」の試合形式は、リング2面が有刺鉄線電流爆破で有刺鉄線電流爆破バットが2本用意され、場外1面には有刺鉄線バリケードマット地雷爆破(地雷8個)が設置される。そして、新たに開発された有刺鉄線電流爆破テーブルが使用されるという過激なものだ。

さて、今から31年前の平成元年(1989年)7月に大仁田が設立したFMWは、「何が飛び出すかわからない」をキャッチフレーズに、ファンの支持を集めた。

旗揚げ戦(10月6日、愛知・露橋スポーツセンター)では、空手道場の対抗戦やプロレスVS空手、柔道、サンボの異種格闘技戦、そして女子プロレスのハンディキャップマッチなどが行われ、その後ミゼットプロレスも組まれた。

デスマッチも積極的に導入して鉄条網マッチ、有刺鉄線バリケードマッチ、ノーピープルマッチ、ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチとエスカレートしていく。

そんなFMWは、日本初となる洋上マッチも行っていた(写真)。かつて、水を張ったプールにリングを設置した試合はあったが、海の上でのプロレスは初めてのことだった(世界初なのかは不明)。

それは90年7月22日、35度の猛暑の中、宮崎・日南市油津港で開催された。

油津港の岸壁から10メートルのところにドラム缶(9個と記憶)を浮かべ、その上に板を置き「いかだ」をつくり、5本のロープで岸壁とつないで固定。いかだの上に10人がかりで約2時間かけてリングをつくり、海の上にリングが浮かんだ状態になった。観客はゴザを敷いて岸壁から観戦。選手は漁船に乗りリングに向かった。

ロープで岸壁とつなげられているといえ、海の上は波まかせでリングもユラユラ。観客の期待(?)も「海に落ちろ!」に集中した。もちろん救助用の船はリング付近に待機していた。

第2試合の上野幸秀(後の超電戦士バトレンジャーZ)が期待に応え、帰ってきたウルトラマンのトペスイシーダで海にドボン。最初の犠牲者となった。リングシューズを履いているためうまく泳げず、大量の水を飲んで〝水死〟寸前のハプニング(紙面より抜粋)。

メインの13人参加のバトルロイヤルでは、フォールされた選手が次々と海に叩き込まれた。

8・4の汐留大会でノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチでの対戦が決まっていた大仁田とターザン後藤も、殴り合いから勢いあまって早々と海に転落し、泳いで岸壁までたどり着き、裸足のまま観客の中になだれ込み乱闘を展開。観客を大喜びさせた。

大仁田のFMWは、既成概念にとらわれないアイデアで勝負していた。

「夢もプランも山ほどある。やりたいことだらけだ。忙しくてしょうがないけど、それがうれしい」。旗揚げから一周年が経って大仁田はそう語っていた。

85年(昭和60年)1月3日に、全日本プロレスで(1回目の)引退式を行いプロレス界から去った大仁田。何年かして、バスの中で偶然、大仁田と遭遇したことがあった。水商売を経営しているが芳しくないと寂しそうな表情をしていた大仁田。

一周年を迎えて語った言葉は〝本心〟だったろう(敬称略)。

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