住民と報道陣 関係どう構築 雲仙大火砕流30年マスコミ集会

オンライン形式で災害取材・報道の在り方を考えた「雲仙集会」

 雲仙・普賢岳噴火災害などを教訓に取材や報道の在り方を考える「雲仙集会」(新聞労連、長崎マスコミ・文化共闘会議など主催)が6日、前日に続きオンライン形式で開かれた。「被災地を忘れない(長期取材の視点)」をテーマにシンポジウムを開き、住民や報道関係者ら7人が意見を交わした。
 島原市の雲仙岳災害記念館館長で、甚大な被害を受けた安中地区の公民館に市職員として当時常駐していた杉本伸一さん(71)は、ぬれた雨具姿で避難所に上がり込み、被災者にマイクを突きつけるなど「わが物顔で無神経な取材を繰り返すマスコミに、住民の怒りが渦巻いていた」と振り返った。その上で「当時の状況を整理し、住民と報道陣の思いを考え合わせ今後に生かす作業が必要」と述べた。
 1991年6月の大火砕流惨事の半年後、取材に訪れたジャーナリストの江川紹子さん(62)は、仮設住宅での不自由な暮らしや憔悴(しょうすい)した被災者の様子など、災害の象徴的な部分を取材するという目的意識が報道陣には強いと指摘。「それ以外のシーンがこぼれ落ちていくので、取材される側との間で考え方のずれが出てくる」と述べた。その点を踏まえ「目的に合った情報だけ持ち帰ることは効率がいいが、長期にわたる取材や関係構築が必要な場面では、取材先との目的外の時間共有が大事」と訴えた。

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