「定点」

 〈報道陣が避難勧告さえ守っていれば、消防団と警察官は死なずに済んだ〉〈最大の要因はゆがんだ使命感と過熱取材〉〈警告に耳を傾けてほしかった〉-幾つも並んだ厳しい言葉は、悔恨と怒りの深さの裏返しでもあるのだろう▲雲仙・普賢岳の“ホームドクター”太田一也・九州大名誉教授のインタビューが中面にある。43人の犠牲者を出した1991年の「6.3大火砕流」からきょうで30年▲無謀な取材を続けた報道機関が消防や警察を危険な場所に引き戻してしまった-それが当初から語られてきたこの惨事の構図だ。マスコミが皆を死なせた、と。だから、撮影取材の拠点だった「定点」には殺風景な三角錐(すい)が立っているだけだった▲その「定点」がこの春、地元の町内会連絡協議会によって災害遺構として整備された。火山灰に埋もれていた取材の車が掘り出され「教訓を未来に活(い)かす」と誓う石碑が建てられた▲消防団の仲間を火砕流で亡くした男性がテレビの取材にこんなふうに答えているのを目にした。「報道も消防も、自分の仕事をしながら亡くなった。みんな一緒だ、と今は思う」▲ああ、時間が解決することってあるのだ-などと都合のいい解釈に飛びついてはなるまい。言葉の温かさはかみ締めながら真摯な自問自答と自戒を続けたい。(智)


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