家業の八百屋から公募で国会議員へ。自民党・平将明氏の素顔に迫る!

選挙ドットコムでは、乙武洋匡氏をMCに迎え選挙や政治の情報をわかりやすくお伝えするYouTube番組「選挙ドットコムちゃんねる」を毎週更新中です。

今回は2021年5月21日に公開された対談の様子をご紹介。ゲストは自民党・平将明氏です。サラリーマンから青果市場の若社長として過ごした夜勤の日々、そして国会議員になるまでのストーリーに迫りました。

 

夢は「昼間に働きたい」青果市場の若社長として過ごした日々

乙武氏は平氏が国会議員になるまでの異色の経歴に注目。平氏はサラリーマン時代から中小企業の経営者を経て、国会議員になるまでを振り返りました。

家業が青果市場の仲卸であったという平氏。不動産会社で1年半ほどサラリーマンをしていたそうですが、当時の経営者であった父が病に倒れます。兄は留学中だったため、弟である平氏が後を継ぎ3代目社長となりました。

「何時に市場に行ったらいいの?」と平氏が父に聞くと、父は「10時」と答えられたそうです。案外遅いもんなんだな、と思ったという平氏ですが、実際の意味は「22時」。

それから平氏の現場仕事が始まりました。毎日22時に出勤して荷運びや競り、売り込み等の業務を行い、退勤するのはお昼の12時ごろ。テレビ番組「ごきげんよう」を見てから寝るのが定番だったようで、その生活は約3年間続きました。

ちなみに、当時は平氏は新婚。当時の夢は「昼間に働きたい」だったそうです。

平氏が会社を継いだのはバブル絶頂期。その時期に中小企業の経営者として現場で働いた経験を「良い経験だった」と語ります。

青果市場の人々が夜中から働くことで、スーパーマーケットが開く朝10時ごろにはスーパーに昨日収穫した野菜が並んでいる、という流れを身を以て体感することで、自分がエッセンシャルワーカーである、という自覚も持てたようです。

日本青年会議所で「公開討論会」を根付かせた

経営者をしながら日本青年会議所に入った平氏は、社会をどう変えるかという視点で活動をすることの重要さを考え、公開討論会を実施し、その文化を根付かせました。マニュアル作り等も担当したそうです。

中小企業の経営者であり、改革志向であった平氏は東京青年会議所の中では異色の存在であったようです。

先輩たちには嫌われていた、危険人物だと思われていた、と語る平氏ですが、後に自身の作った「公開討論会」というプラットフォームに乗って国会議員への道が開かれることとなります。

バブルが崩壊して公募ができた。中小企業経営者だから分かることがある

バブル崩壊の時期、平氏も資金繰りに大変苦労されたといいます。

政治家は「中小企業のみなさんのために」という言葉を繰り返しますが、中小企業経営者である平氏はそんな政治家の言動に対し「分かってない」と感じたようです。

そんな政界に変化が起こります。公開討論会の存在も一助となり、各政党に「公募制度」ができました。

地方議員や官僚からのスカウト以外にも、公開討論会を通して光る人材を各政党が獲得できるようになりました。

自民党も「公開討論会で戦えないような人材では政治でも戦えない」と公募制度を取り入れます。その公募制度を通じて自民党の公認候補となり、5選を果たしたのが今の平氏です。

自身の選挙区である大田区について、平氏は「自分に合っている」と考察。大田区は中小企業が多い区で、自身の中小企業経営経験が非常に活かされているといいます。資金繰りや大企業との関係性といったリアルな事情に踏み込んでもすぐに実体験をもって理解できる政治家として活動しています。

「自身の経験を国家の政策に活かしたい」と前向きに語る平氏。全3回にわたる乙武対談・平将明氏編の第1回では国会議員になるまでのストーリーに迫りました。第2回・第3回では取り組みや政策について語っていただきます。

平将明氏プロフィール

1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業後、サラリーマン生活を経て家業である大田青果市場の仲卸会社に入社、社長就任。社団法人東京青年会議所に入会し、公開討論会を実施。2005年公募に合格し自民党公認候補となり衆議院議員選挙に立候補し当選。以降当選を重ね現在5期目を務める。内閣府副大臣等を歴任し、現在は衆議院内閣委員会理事、自民党経済成長戦略本部のプロジェクトチーム幹事等を務めている。

© 選挙ドットコム株式会社