〈令和2年7月 熊本県豪雨災害〉「日刊 人吉新聞」発 発災から1年 復興の道険しく〈上〉

 熊本県内に大きな爪痕を残した「令和2年7月豪雨」から1年を迎えようとしている。被災地では復旧復興へ向けて歩み始めたが、被災者の多くは住まいやなりわいの再建に至っておらず、そのめどもまだ見通せていない。

人吉球磨で45人死亡

 「令和2年7月豪雨」は、熊本県南部に線状降水帯が停滞し、7月4日未明から朝にかけて猛烈な雨が降り注ぎ、多い所で3時間雨量は200ミリを超えた。

 日本三急流で知られる球磨川や支流が氾濫。流域の家屋が浸水し、橋も流失するなど未曽有の大水害となり、周囲の山間部では土砂災害も起きた。

 被害は4月末で死者65人、行方不明者2人、重傷者15人。住家の全壊は1491棟、半壊3109棟、床上浸水290棟。被災は5559世帯、1万2025人に上る。

球磨川が氾濫、浸水した人吉市内。中央の西瀬橋も橋桁が流失した(昨年7月4日)

 被害総額は5222億円で、「昭和」以降に起きた災害では、5年前の「熊本地震」に次ぐ被害額となっている。

 人吉新聞社(本社・熊本県人吉市)の購読エリアの人吉球磨地域は、鹿児島、宮崎県境近くの人吉盆地にある10市町村で構成。中央を流れる球磨川の氾濫により人吉市で20人、球磨村で25人の死者を出した。特に同村では、特別養護老人ホーム「千寿園」の1階が水没し、入所していた高齢者14人が亡くなった。

 人吉市では、球磨川沿いに並ぶ市内中心部の温泉旅館や商店街が浸水。JR九州の肥薩線、人吉盆地を走る第三セクター・くま川鉄道の鉄路や橋も流された。復旧のめどは立っておらず、市内から「SL人吉」などの観光列車や観光客の姿が消えて久しい。

 人吉球磨を代表する米を原料とした「球磨焼酎」も27蔵元のうち7蔵元が被災。そのうち甚大な被害を受けた1蔵元は今も製造を再開できずにいる。つづく

 上越タイムス社は「『地域紙のある町ネットワーク』呼び掛け人会」の熊本県人吉球磨地域(被災地)支援の趣旨に賛同し、「球磨焼酎」頒布会の広告と、連載記事を掲載します。

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