【ラジオNIKKEI賞】あえてダービーを回避して重賞初制覇を決めたアンビシャス

プラン通りにダービーを回避して初タイトルをゲットしたアンビシャス

【松浪大樹のあの日、あの時、あのレース=2015年ラジオNIKKEI賞】

2015年のプリンシパルSを勝ったアンビシャス。同馬はトライアルを勝って出走権を獲得したにもかかわらず、頂上決戦の日本ダービーに出走しなかった珍しい馬です。

このレースで権利を得ながら、ダービーに出走しなかったのは1996年ダンスインザダーク以降の25年で3頭のみ。しかし、2001年のミスキャストは骨折による戦線離脱でしたし、もう1頭は2019年のザダル。アンビシャスの前例があってのことですよね。というわけでアンビシャスはプリンシパルSの歴史において「状態などの問題があったわけでもないのに、ダービーに出走しなかった最初の勝ち馬」なんです。

これについては管理していた音無調教師も複雑な心境だったみたいですよ。もっとも、どのようなパフォーマンスをしようともダービーの出走は最初から考えておらず、ルメール騎手の継続騎乗が可能なラジオNIKKEI賞参戦は、プリンシパルSの前から挙がっていたプランでした。

では、何に対して複雑だったのか…と言えば、アンビシャスがプリンシパルSに出走し、そこで権利を獲得してしまうことで、ダービー出走に意欲を持っている馬のチャンスを奪ってしまうこと。そんなことを気にする必要はないと思うんですけど、何と言ってもダービーですから。そんなに割り切れる話でもなかったみたいですよ。

「秋は天皇賞に行きたいと考えているわけだし、少しでも賞金を加えておかないと不安。そして、そこにベストと思える2000メートルのレースがあった。だから、プリンシパルSを使うんだけど、出すだけでもいいから出したいと思うレースがダービーだろ? 周囲はそのように考えてくれないかもしれないし、最初から出走の意思がないと宣言するのもアレなので、そこに関しては触れない形で取材を受けることにする。で、勝ったときに改めて〝ダービーには向かいません〟と言うつもり」と当時の音無調教師。

そのプラン通りにプリンシパルSを勝ち、これまたプラン通りにルメール騎手を背にして挑んだのが、アンビシャスにとって初の重賞制覇となった2015年のラジオNIKKEI賞。

ハンデ戦でも世代限定で力量に差があるためか、驚くような軽ハンデ馬が勝つことはなく、ハンデ戦に条件が変更された2006年以降の最軽量勝ち馬は07年ロックドゥカンプの52キロ。でも、この馬は南半球産の遅生まれですからね。基礎重量から違うことを考えれば、53キロくらいまでが好走のリミットになってます。

ただし、重いハンデの馬が貫録を示して勝っているかと言えば、57キロは9頭が出走して全敗。08年ノットアローンの2着が最高で、あとは全て馬券対象から外れているんですよね。ハンデが発表されたときに「このコンマ5キロなんて数字がいるのか? 56でええのになあ」なんてボヤいていたトレーナーですが、57キロにされるよりは良かったのかも?

ちなみに56・5キロという中途半端な数字のハンデはアンビシャスにしか課せられていない数字で、ゆえにアンビシャスはラジオNIKKEI賞を制した馬の中で最も重いハンデだったことになります。小回りの福島でアンビシャス以外の上位馬は全て先行馬。前残りの流れを差し切ったレース内容を考えれば、57キロでも勝っていたような気がします。

© 株式会社東京スポーツ新聞社