鮮烈だった「UFO投法」の新人王… 14勝を挙げた元広島右腕が“損した”1勝とは?

1995年に新人王に輝くなど広島で活躍した山内泰幸氏【写真:本人提供】

1995年に広島の新人投手最多となる14勝をマークした山内泰幸氏

今季苦しい戦いが続く広島で、ドラフト1位ルーキー栗林良吏投手の活躍は数少ない光明となっている。クローザーとして球団の開幕からの無失点記録を更新するなど、阪神・佐藤輝明内野手と並んで新人王の有力候補に挙がる。チームでは、昨季に森下暢仁投手が獲得したのを含め、歴代の新人王受賞者は10人。うち投手は8人で、中でも鮮烈だったのが、1995年に球団の新人投手で最多となる14勝をマークした山内泰幸氏。現在は広島を中心に野球解説者として活躍する元右腕に、26年前の鮮やかな記憶を振り返ってもらった。【大久保泰伸】

右ひじを高く上げる独特の投球フォームで「UFO投法」と話題になった山内氏は、1994年に球団初の逆指名選手として広島に入団した。日体大では当時の首都大学リーグ記録である連続イニング無失点(48回2/3)を樹立するなど通算31勝をマーク。日米大学野球ではMVPに輝き、ドラフトの目玉的存在だった。

「数球団から誘いはありましたが、地元の広島に決めました。カープはその年の3月の時点で指名を公表していたということもあったし、何よりも小さい頃から見ていた球団だったということが大きかったですね」

当時の広島投手陣は、現監督の佐々岡真司がエース格で、39歳のベテラン大野豊が抑えを務めていた。ほかにも紀藤真琴、近藤芳久、井上祐二などが投手陣の中心だったが、同年にトリプルスリーを達成した野村謙二郎、江藤智、前田智徳など、強力打線を全面に押し出したチームだった。

投手陣がやや駒不足だったチーム状況で、山内氏は当然のように開幕1軍入り。1995年4月11日、甲子園で迎えたプロ初登板の阪神戦で、初先発初勝利をマークした。

「当時の阪神はあまり強いチームではなかったので、首脳陣も配慮してくれたところがあったと思います。それでもある程度は自分の投球ができて、最後に抑えの大野さんからウイニングボールを渡された時は、やっぱり嬉しかったです。入団会見の時から2桁勝利、新人王と大きなことを言っていたので、とりあえず勝ててホッとしたことを覚えています」

その後は5月に4勝して月間MVPを獲得。リーグ最速で10勝をマークするなど、オールスターまでに11勝と快進撃を続けたが、順調そのものというわけではなかった。抑えの大野の調子が上がらず、先発だった佐々岡と役割を入れ替えるなどのチーム事情に加え、本人の状態もあり、開幕から1か月で山内氏はリリーフに配置換えとなった。

シーズン中に配置転換も経験「今の選手は恵まれていると思う」

「自分の2試合目の登板が終わった頃、チームとして10試合ぐらいを消化した時点で、当時はシーズン130試合だったので、これをあと13回繰り返さないといけないのか、と思いました。学生時代にはそんなに長い期間、野球をやったことがなかったし、その時点でもう少し疲れもあったので、これは大変だなと思った記憶があります。ただ、その時にそう思っただけで、そこから5月に入ってからは中継ぎもやって、また先発に戻って、オールスターまで突っ走った、という感じです」

シーズン中の配置転換となると、現在では一大事と言えるが、当時は佐々岡と大野の入れ替えのように、さほど特別なことではなかった。山内氏の1年目の成績を見ると、34試合登板のうち、先発は21試合で5完投(1完封)、トータルの投球回数は163回1/3となっている。

「当時は先発したらいけるところまで、点を取られるまで投げていて、球数も150ぐらいは平気で投げていた。リリーフでも2イニング投げた翌日に、また次の日に2イニング、さらにその翌日に1イニング投げても、なんとも思わなかった。リリーフから先発に変わる時も、次から先発でいくぞと言われるぐらい。1年目だったということもあるけど、当時はそれに対して不満もないし、不思議とも思わない。そういう時代でしたね」

オールスターの時には「自分でも疲れを感じていたし、球自体も思うようなボールが投げられなくなっていた。肩やひじは全く問題なかったが、とにかく投げていてシーズン当初とは全く違うと感じていた」と当時を振り返った山内氏。9月以降は5試合連続で敗戦投手となるなど、目標としていた15勝にはあと1勝届かなかったが、同じ年に彗星のように現れたドミニカ右腕との間に、こんなエピソードもあったと言う。

「この年は(ロビンソン・)チェコが15勝したのですが、実は彼に自分の1勝をあげているんですよ。オールスター前に、自分が先発してリードした状態で3回か4回まで投げた試合があったのですが、チェコの勝ち数を増やしてオールスターに選ばれるように、勝利投手の権利を譲る形で交代したんです。それで終わってみれば、チェコが15勝で、自分が14勝ということになってしまった。あの1勝があれば、と今でも思いますね(笑)」

まばゆいルーキーイヤーから26年。野球は変わり、投手の分業制が確立された。入団直後は先発ローテ候補の声もあった栗林も、世が世なら先発、リリーフを問わない起用で役割を果たしていた可能性もある。「そういう意味では、今の選手は恵まれていると思う」という山内氏だが、8年という決して長くない現役生活で、球史に強烈なインパクトを残したことは間違いない。(大久保泰伸 / Yasunobu Okubo)

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