五輪への「こもごも」

 駆け出し記者の頃、受験の合格発表の原稿で「悲喜こもごもの春」と書いた。合否によって喜ぶ人、悲しむ人がいる。そう書いたつもりが、原稿を読んだ先輩は言う。「意味が違うぞ」▲誰か一人が悲しさ、喜ばしさを同時に、または代わる代わる抱くのが「悲喜こもごも」だと、そのとき知った。例えば卒業、転勤する人の「新生活は楽しみだけど、みんなと別れるのは悲しい」という感情を指す▲遠い昔に学んだ感情の「こもごも」を、東京五輪が近づくにつれて思い出す。度合いの差はあるにせよ、列島全体、多くの人の心で期待や不安という別々の感情が行き来しているように思える▲日本代表選手が次々と決まっている。種目別の鉄棒に絞って挑む内村航平選手が「(不振という)どん底まで落ちた人間って、さらに強くなれる」と自分を評した言葉を聞けば、大舞台での気迫をやはり見たくなる▲目を移せば、一部の会場の無観客も視野に-と、コロナ感染の拡大傾向に運営側は振り回されている。多くの人の胸で不安、警戒心が色を濃くしているだろう▲五輪を控えたいま、期待の「期」や憂いの「憂」と、「こもごも」の上にくる漢字がいくつか浮かぶ。もう少し先とは分かっているが、例えば安堵(あんど)や安らかの「安」が「上にくる字」になる日が待ち遠しい。(徹)

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