院長再び現場へ 島のコロナ禍、医療体制支える澄川さん

島民に体調を尋ねる澄川さん

 佐世保市総合医療センター初代院長の澄川耕二さん(73)が今春、同市の離島、黒島と高島の診療所長に就任した。就任後は早速、島の新型コロナウイルスワクチンの集団接種計画を進めた。「できるだけ健康で長生きしてもらえるように、島の人たちと向き合いたい」。再び現場の医師に戻り、目を輝かせながら抱負を語る。
 同市相浦町の港からフェリーで50分の沖合にある黒島。市立黒島小中学校体育館では6月26日、2回目の新型コロナワクチンの集団接種が行われた。
 「体の調子はどうですか」。澄川さんは穏やかな声で島民一人一人に声を掛け、問診していた。この日、210人が接種を終えた。島民の島本ヨシ子さん(86)は「早く受けられるのはありがたい。いくらかは安心しました」と胸をなでおろした。
 国は高齢者人口が500人未満の離島について高齢者以外の住民も同時に接種することを認めている。市内では全住民が約430人の黒島と約160人の高島が対象だ。
 黒島には世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産「黒島の集落」があり、新型コロナの感染者が多い関東や関西からも観光客が訪れる。さらに昨年は島内でも新型コロナの陽性者が確認された。「早く集団接種をしなければ」。澄川さんは危機感を抱いていた。
 同市のワクチン接種推進チームの担当者も「医療資源が乏しい離島の集団接種を早く進めたかった」と明かす。だが、医師や看護師のスタッフの確保に頭を悩ませていた。そんな時、助けになったのが3月まで同センター院長を務めていた澄川さんの存在だった。
 2016年4月から5年間、佐世保市総合医療センター院長を務めた澄川耕二さん(73)。黒島、高島の集団接種に関しては、同センターの協力を得て、スタッフを手配した。
 澄川さんや市黒島支所の職員らは、地元住民に協力を仰ぎ、あらかじめ地区ごとに時間を決め、その時間に会場に行けばスムーズに接種が受けられるようにした。さらに、両診療所の休診日を使って、服用する薬の種類などを事前に聞き取った。黒島では約340人が6月上旬に1回目、26、27の両日に2回目の接種を受けた。高島では20日に約145人が1回目を終えた。トラブルもなく集団接種が進み、市の担当者は「澄川先生の働き掛けがあって、本当に助かった」とほっとした様子だった。

 澄川さんは、島根県の美都村(現・益田市)で育った。幼いころは体が弱く、村の診療所に頻繁に通ったため、医師は身近な存在。生命への関心が高く、小学4年の時、担任の先生から医師を主人公にした物語を聞かされたこともあり、医師を志すようになった。
 大阪大医学部に進学。そのころ手にした本で、音楽家や哲学者などの肩書を持ち、アフリカの診療所で地域医療に貢献したフランス人医師シュバイツァーのことを知り、憧れたという。全身の管理ができる麻酔科医としてキャリアを積み、1992年に長崎大医学部教授に就任。同大医学部付属病院長や済生会長崎病院長を経て、2015年に佐世保市立総合病院、16年に独立行政法人化により名称変更した同市総合医療センターの院長を歴任した。
 黒島、高島の診療所は同センターが管轄している。所長不在時には澄川さんも駆け付けたことがあった。偶然にも、院長の任期が終わるタイミングで診療所長のポストがあき、離島医療に携わりたいと自ら手を挙げた。
 長年、複数の医療機関で病院長を務め、久々の現場での勤務。「幼いころに目指してきた医師に戻った」。そして「尊敬に値する医師像」というシュバイツァーと同じように診療所で医師を務めることになった。
 現在、黒島では週4回、高島では週1回診療する。都市部の病院とは異なり、内科や外科、小児科などのあらゆる症状の患者を1人で診ている。「よか先生で安心感がある」。既に島の人たちの信頼も得ている。
 目標は、島民から何でも相談される存在になること。体重のコントロールはできているか、風呂は一人で入れるのか、老々介護なのか…。その人の生活そのものを把握することで、島民の健康につなげる。
 さらに、離島医療は本土との連携が欠かせないため、橋渡しの役割も担う。「医療へのアクセスが不利にならないよう、できるだけ島民の不安要素を取り除きたい」
 診療所長に任期はなく、体力が続く限り、島の医者として務めるつもりだ。より深い知識や必要な治療法をあらためて学び直し、島民一人一人に向き合う澄川さんのまなざしは優しさにあふれていた。

 


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