前回の感動をもう一度 東京五輪で補助役員 前回の感動をもう一度 東京五輪で補助役員

 「国立競技場の大歓声のこだまはいつまでも鳴りやみません。東京オリンピックの開幕、世界が一つに結ばれた瞬間です」―。1964(昭和39)年の東京オリンピックで補助役員を務め、感動をこうしたためた大潟区潟町の仲田隆光さん(77)。今年の東京オリンピックで上越市のホストタウンサポーターに登録した。自身2度目となるオリンピックのボランティア参加。ドイツ体操代表の事前合宿を前に、「選手たちは力を出し切ってほしい」と温かいまなざしを向ける。

1964年東京五輪のドン・ショランダー選手の写真とサイン色紙、補助役員を務めた当時の写真を手にする仲田さん。今回もホストタウンサポーターとして携わる

 高田高では、団体徒手で国体8連覇を果たした体操部に所属し、卒業後、中京大体育学部へ進学。大学を出て、高校体育教師として糸魚川高、旧吉川高、旧柿崎高などで生徒を指導した。大学在学中に東京五輪を迎え、補助役員に応募。採用が決まると、小躍りして喜んだという。

 1964年10月10日、開会式会場の国立競技場にいて、各国選手団入場、ブルーインパルスの編隊飛行、聖火点火を見届けた。補助役員の会場は代々木のオリンピックプールに配属され、「全世界のトップアスリートの泳ぎが、実際に目の前で展開される場面を想像するだけで胸がドキドキした」と振り返る。

 全種目終了後、競泳史上初の4冠を達成したドン・ショランダー選手(米国)にサインを求めると、色紙と一緒に新品の水着をプレゼントされた。仲良くなり、その後、上越にスキーに来るなど交流が続いたという。

 57年後の今年、上越市のホストタウンサポーターに登録した。6月27日におもてなし用の作品イベントに参加し、7月9日に来越するドイツ体操チームを迎える。大学の第2外国語がドイツ語だったり、ドイツ車に長年乗ったりして、同国に親しみがあるという。

 「前回の感動の思いが強く、今回、地元大潟で事前合宿があるし、盛り上げたいと思った。(コロナ禍で)直接選手と交流できないのは残念だが、陰ながら応援したい」と話す。同じ競技をやっている同志といい、手作りした倒立台の贈呈を考えている。

 上越市の体育指導委員を務め、現在は二つの運動クラブを主宰、救命救急員や防災士、救難のジェットボート、レクリエーション、マジックなどさまざまに取り組んでいる。

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