パラ競泳・東海林大 「あの悔しさがあったからこそ」5年分の思いぶつける

東海林は5年前の悔しさを東京大会にぶつける(日本パラ水泳連盟提供)

【Restart パラヒーローズ その壁を乗り越えろ(35)】悔しさをバネに――。パラ競泳の東海林大(22=三菱商事)は、初の大舞台で金メダル獲得を目指している。リオデジャネイロ大会の代表切符を逃してから約5年。ひと皮むけた若きスイマーがリベンジに燃える今の思いを明かした。

「プールに行くのがとても楽しみだった」。自閉症スペクトラムを抱える東海林が水泳に出会ったのは、4歳のころ。兄とともにスイミングスクールに入会したのがきっかけだった。小学校高学年になると、週6回のペースで泳ぐほど熱中していたという。

中学入学後は、迷わず水泳部に入部。部活で泳いだ後には、スイミングスクールでも泳ぐ日々を過ごした。中学までは健常者とレースに出場していたが、高等養護学校1年時からパラ競泳に転向。2015年には日本代表入りを果たした。

しかし、16年リオデジャネイロ大会の代表選考会では、200メートル個人メドレー(SM14)で予選トップ通過を決めながらも、決勝はまさかの6位に終わった。東海林は「期待がプレッシャーになった。体がガチガチに硬くなって、いつもの泳ぎができなかった。『もう、自分は日本代表になれないんだな。ダメなんだ』という気持ちになった」と振り返る。

それでも、休養を経て再びプールに帰ってきた東海林は「コーチから教わった泳ぎの動作が体に染み込むように努力した」と基礎から泳ぎを見直した。その結果、19年世界選手権の200メートル個人メドレー(SM14)で2分8秒16の世界新記録をマークして優勝。東京大会の内定を勝ち取り「自分の泳ぎに集中して、最高のパフォーマンスを発揮することができた。(リオ大会代表落ちの)あの悔しさがあったからこそ、最高にうれしかった」と充実感をにじませた。

ただ、新型コロナウイルス禍で東京大会が1年延期に。当初は「頭が真っ白になった」というが「1年チャンスが増えたと思って気持ちを切り替え、今やれることから始めようと思った」と地道にトレーニングを重ね、3月の日本パラ水泳選手権では4冠に輝いた。

残り2か月を切った東京大会に向けては「平和の祭典を思う存分楽しんで、持っている力を最大限に発揮する」と気合十分。5年分の思いを胸に、自国開催の大一番に挑む覚悟だ。

☆とうかいりん・だい 1999年3月9日生まれ。山形県出身。4歳から兄とともに水泳を始め、高等養護学校1年時にパラ競泳の世界へ飛び込んだ。2016年リオデジャネイロ大会は代表の座を逃したが、19年世界選手権の200メートル個人メドレー(SM14)で2分8秒16の世界新記録をマークして優勝。東京大会の代表に内定した。3月の日本パラ水泳選手権では4冠に輝いた。自閉症スペクトラムを抱えているが、練習の合間に介護付き有料老人ホームで清掃の仕事に励んでいる。180センチ、70キロ。

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