認知症の当事者、聖火に込めた思いとは 地元でトーチ掲げ、笑みはじける

横断幕の前で家族や支援者と写る藤田和子さん=5月22日

 認知症の当事者と支援者の4人が、それぞれの思いを胸に東京五輪・パラリンピックの聖火リレーに臨んだ。団塊世代全員が75歳以上になる2025年には、700万人を超えると言われる認知症。生活に支障を来すイメージが先行しがちだが、当事者たちは「発症しても何も変わらないよ」と語りかける。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、公道を走れなかったエリアもあるものの、当事者が笑顔でトーチを掲げる姿は、共に生きる社会がどうあるべきなのかを問い掛けている。(共同通信=城和佳子、梅岡真理子)

 ▽「希望」つなぐ

 認知症の主な症状には、記憶や理解・判断力の低下、時間や場所が分からなくなるなどがある。高齢者に多いとの印象が強いが、厚生労働省は65歳以下で発症する「若年性認知症」の人も全国で3万5700人に上ると推計する。初期段階では仕事や趣味を続けられる場合も多く、発症後も従来通りの生活を続けられるようにするための環境づくりが課題だ。

 当事者らが参加する「認知症本人ワーキンググループ(JDWG)」は、認知症になっても希望と尊厳をもって暮らせる社会を目指して、当事者の思いや意見を発信。「希望のリレー」と名付けて活動を広げている。今回の聖火リレーでは、メンバーが走る場所に「希望のリレー」と書かれた横断幕を順番に掲げ、メッセージを伝えることにした。

 ▽感謝、喜びを胸に

 横断幕を計画したのは、JDWG理事で、当事者をサポートしている認知症医の戸谷修二さん(49)。4人のトップを切って5月17日、小雨が降る平和記念公園(広島市中区)でトーチを掲げた。新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言中だったため、公道を走ることはできなかったが、聖火をつなぐ間は「これまで炎をつないでくれた方々と地元の人への感謝で胸がいっぱいだった」と振り返る。

横断幕を計画し、広島でトーチを掲げた戸谷修二さん=5月17日

 他のメンバーが走る場所へも応援に駆けつけたかったが、コロナの移動制限により断念。「希望のリレー」の思いは聖火と横断幕に託すこととした。

 ▽ありのままで

 戸谷さんから横断幕を引き継ぎ、5月22日に鳥取県湯梨浜町を走ったのは、当事者でJDWG代表理事を務める藤田和子さん(59)。「走れる喜びを大切にしたい」と、1年越しの聖火ランに臨んだ。「『認知症でも笑顔で暮らせる』と思ってほしい。日々奮闘している当事者のことをもっと広く知ってほしい」。地元の子どもたちや当事者、支援者らへ手を振りながら公道を走った。

聖火ランナーを務めた藤田和子さん=5月22日、鳥取県湯梨浜町

 看護師として働いていた45歳の時、診断された。当初は、症状によるミスや混乱から家族と言い争うことも。しかし「ありのままで暮らせるような社会にしたい。偏見をなくし、希望と尊厳が持てる社会をつくりたい」と願い、活動を始めた。

 コロナ禍で講演や会議はオンラインになった。距離に関係なく発信し続けられる利点もあるが「直接会う方が伝えやすいし、私もわくわくする」と実感した1年間だったという。

 リレー当日は、三女の福本亜矢子さん(27)ら家族や地元の当事者が現地に駆けつけ、沿道で横断幕を掲げた。「声援を受けて走ることができ、私も元気になれた」。走り終えた藤田さんの笑みがはじけた。

 ▽オリンピアン

 横断幕は6月、宮城県南三陸町で走った当事者の丹野智文さん(47)の元へ。その後、都内で参加する柿下秋男さん(67)に送られた。柿下さんは実は、1976年モントリオール五輪のボート競技にかじ取り役のコックスとして出場したオリンピアンだ。「五輪はスポーツをする者の集大成。東京大会にも参加したかった」と特別な思いを寄せる。藤田さん、丹野さんに「聖火リレーに応募してみようと思っているんだ」と声を掛け、今回の参加につながった。

五輪に特別な思いを寄せる柿下秋男さん

 長年、東京の大田市場で勤務し、野菜や果物の競り人だったこともある。認知症は60歳のころ、ストレスによるうつ症状から始まった。つらい日々もあったが、リハビリや服薬で落ち着いた状況を取り戻した。

 退職後は、当事者や家族、介護職などが集う地域のグループに参加。山登りやスポーツを通して「支える」「支えられる」を意識せずにいつも笑い合える仲間になった。

 「認知症でも元気に走れる姿を見せたい」と意気込んでいたが、4度目の緊急事態宣言を受けて公道走行は中止され、「トーチキス」に。それでも「聖火ランは自分の人生の通過点。また新たな希望を掲げていきたい」と話した。

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