故・酒井政利さん 冴えた“直感” 山口百恵さん「いい日旅立ち」誕生秘話

数々の名曲を送り出した酒井政利さん

山口百恵さんや郷ひろみらを手掛けた音楽プロデューサー・酒井政利さんが16日に心不全のため都内の病院で死去したことが19日、分かった。85歳だった。これまで300組を超えるアーティストを世に送り出してきた。その中でも誰もが一度は耳にしたことのある山口さんの名曲「いい日旅立ち」秘話、そして最大のヒット曲「愛と死をみつめて」と五輪への思いをお届けしよう――。

酒井さんは、2005年に音楽業界初の文化庁長官表彰。昨年には文化功労者として顕彰された。当時、音楽プロデューサーとして60年。「日本のレコード産業が百数年。その半分以上に携わることができた。自分にとっても大きな誇り」と感慨深げに語っていた。

酒井さんを世に知らしめたのが、1964年に青山和子が歌った「愛と死をみつめて」だ。

顔をがん(軟骨肉腫)に侵され21歳の若さでこの世を去った大島みち子(ミコ)と河野實(マコ)の3年にも及ぶ往復書簡が書籍になった。これに新鮮な魅力を感じたのが酒井さんだった。「この本を音楽にしたら感動的な作品になる。今、大衆が求めているのはこれだ!」

曲はベテラン作家ではなく原作のイメージを引き出すため、主人公と同年代の若手の新人作詞家と作曲家を起用することにこだわり、当時18歳の新人歌手・青山を抜てき。28歳だった酒井さんの初全面プロデュースとなった。

その狙いは見事に当たり、その年の「第6回日本レコード大賞」を獲得。さらに青山は「第15回NHK紅白歌合戦」にも初出場した。酒井さんの名も業界中に知れ渡った。

71年に南沙織、郷ひろみを手掛けたが、「今でも南沙織と郷ひろみは、音楽プロデューサーとしての長女、長男」と言い続けてきた。

酒井さんの音楽プロデュースには、転機となる出来事があった。77年のこと。「電通」の広告プロデューサーからある企画が提案された。それは、作詞家の阿久悠さん、写真家の浅井慎平さんら総勢20人ほどが参加して、ハワイやフィジー、サモア、イースター島などを約1か月かけて回る旅だった。この南太平洋の旅がキッカケとなって、酒井さんは「魅せられて」(ジュディ・オング)、異国情緒に訴える「異邦人」(久保田早紀)、「時間よ止まれ」(矢沢永吉)、「いい日旅立ち」(山口さん)の4部作をプロデュース。そのすべてが、ミリオンセラーになった。

その中でも旧国鉄のキャンペーンソングとなった「いい日旅立ち」は酒井さんの“直感”がさえわたったものだった。

電通本社の会議室で前出のプロデューサーから「歌は誰でいきますか?」と尋ねられた酒井さんは開口一番、「山口百恵でいきましょう」。そして電通を出ると、その足で谷村新司を訪ねたという。「直感でした。谷村さんの詞には人の心を癒やす言葉があって気になっていたんです。谷村さんだったら国民的な歌ができると…」。そこで生まれたのが「いい日旅立ち」だった。

キャンペーンには「日本旅行社」と「日立」も協賛。酒井さんはスポンサーの「日」と「旅」、そして「立」の3語をタイトルに入れ込んだ。意図的だった。この曲は日本を代表するスタンダードナンバーとなった。

音楽プロデューサーとして長年にわたって活躍してきた酒井さん。最大のヒット曲になった「愛と死をみつめて」がリリースされたのは東京五輪が行われた64年だった。酒井さんはかつてこう話していた。

「2020年の東京五輪まで現役で頑張りたい」

その「東京五輪」は23日に開幕する。

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