【追う!マイ・カナガワ】横浜の小学校に「五輪レガシー」 64年大会の国旗掲揚ポール、なぜあるの?

横浜市立星川小に立つ1964年東京五輪で使用されたポール=同市保土ケ谷区

 「これって、何であるの?」。横浜市旭区の会社員男性(60)から神奈川新聞社の「追う! マイ・カナガワ」取材班に届いた1枚の写真。同市立星川小学校(同市保土ケ谷区)の通用門脇に立つ、1964年の東京五輪で使用されたという記念ポールが写っていた。2度目の東京五輪開幕を前に、その謎を調べてみると─。

◆高さは金メダリスト由来か

 ポールのプレートには、五輪翌年の65年5月に同校に贈られたとの記載がある。まずは同校に聞いてみたが、「資料もなく、経緯は分かりません」。せっかくのポールも現在は特に使っていないという。「また五輪をやるので何かの機会に取り上げられたらとは思っているのですが…」

 色あせたプレートには、当時の同校PTA会長の故・大久保英太郎さんの名が刻まれていた。五輪当時、同校の4年生だったという大久保さんの次男・成哉(まさちか)さん(66)を捜し出した。

 「授業中に小さなテレビで観戦して、サッカーやバレーボールの日本戦では盛り上がったんだよ」

 学校の朝礼で、寄贈されたポールの話題が出たことは覚えているという。

 「日本初の五輪金メダリストで三段跳びの織田幹雄選手の記録にちなみ、ポールの高さが15.21メートルだったと聞いた気がするなあ」

◆東京近郊に600本

 それはすごい。当時の組織委員会で国旗担当職員だった男性が今大会でもアドバイザーを務めていると知り、早速確認してみた。札幌五輪や長野五輪でも各国の国旗準備などに携わったという吹浦忠正さん(80)によると、各競技場で国旗掲揚などに使われたポールは大会後、600本ほどが希望する学校や町内会、神社などに贈られたという。

 寄贈先は多くが都内とその近郊だったと吹浦さんは記憶するが、「学校の建て替えなどで、今はポールの数は相当減ったのでは」。同校にはサッカーやバレーボール会場だった市内の三ツ沢蹴球場か横浜文化体育館から届いたのだろうか。

 1928年のアムステルダム五輪で日本人初の金メダルを獲得した織田選手にちなんだポールについては「国立競技場に1本ありましたが、寄贈はしてないですよ」と吹浦さん。残念…。それでも、子どもたちに歴史を伝える貴重なレガシー(遺産)であることに変わりはない。

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