60年代まで食用 小学校の飼育が生態研究の出発点〈生きた化石の今 アマミノクロウサギと世界遺産②〉

飼育開始式でアマミノクロウサギを受け取る子どもたち=1963年11月、大和村の大和小中学校

 アマミノクロウサギは1960年代ごろまで食用として重宝されていた。「煙を巣穴に入れ、出てきたところを捕獲する」-。大和村が82年にまとめた民俗資料調査報告書で高齢者が捕獲方法を証言している。

 村文化財保護審議委員の中山昭二さん(67)は弟が生まれた10歳のころ、家族でウサギ汁を食べた。「落ち葉の匂いがし、あまりおいしくなかった」と思い返す。産後の滋養強壮に効果があると言い伝えられていた。国指定の天然記念物を許可なく捕獲はできないが、自宅出産が当たり前で薬も簡単に手に入らない時代だった。

■動物園が注目

 クロウサギは63年、国を代表する動物として特別天然記念物に格上げされる。食べることは減り、保護の機運が徐々に高まっていく。

 その一例がほとんど知られていなかった生態の調査だ。岡本文良著「アマミノクロウサギ」によると鹿児島大学が研究のため持ち込んだが飼育に失敗する。白羽の矢が立った大和村の大和小中学校(現大和小、大和中)が文化財保護委員会(現文化庁)の許可を得て63年、飼育を始めた。

 子どもたちは日没を待って夜行性のクロウサギを観察。年1産で1匹しか産まないこと、サツマイモを好むことなどを詳細に日誌に記した。元田豊二さん(72)は「手探りだったが、成長が楽しみだった」と振り返る。

 観察日誌は、学会で高く評価され、鹿児島市の平川動物公園も注目し飼育の参考にした。学校は人工繁殖にも成功した。しかし、91年に相次いで死んだことから飼育を終える。

■保護から展示

 奄美の自然保護団体は山林開発による自然破壊を懸念し95年、クロウサギなど希少動物の声を代弁した「自然の権利訴訟」を起こす。ハブ駆除のために放たれた外来種・マングースがクロウサギを食べていることも当時、問題になっていた。

 国も保護へ動く。環境庁(当時)は2000年、大和村に奄美野生生物保護センターを開所した。初代保護増殖専門官の西村学さん(51)は「生態系や固有種を保護する研究機関が奄美にはなかった。学校で飼育していた大和村は住民の協力が期待できた」と語る。

 開所から20年。村はセンター隣に、交通事故などで保護されたクロウサギのリハビリを兼ねた展示施設を24年度に開設予定と発表した。世界自然遺産登録後の観光客増加を見越し交流人口の拡大を狙う。

 時に島民の栄養源になり、学校教育にも一役買ったクロウサギ。自身も中学生のころ飼育した伊集院幼村長(59)は「村とクロウサギは長く共存し、切っても切れない関係。単なる展示でなく、奄美の自然に興味を持ってもらう施設にしたい」と意気込む。

「奄美・沖縄」の世界自然遺産候補地

© 株式会社南日本新聞社