長崎大水害から39年 カフェ経営の女性ら 23、24日 防災イベント

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砂防関連施設が見える自宅兼カフェの2階で、山田さん(左)から大水害当時の体験を聞く内藤さん=長崎市芒塚町

 死者・行方不明者299人を出した1982年の長崎大水害から23日で39年。災害の記憶が風化する中、長崎市芒塚町でカフェを経営する内藤恵梨さん(33)が中心となって23、24の両日、体験者から話を聞き、防災や災害時に役立つ知識を学ぶイベントを開く。内藤さんは「次の世代に記憶を伝え、地域の防災につながる会にしたい」と語る。
 内藤さんは海上自衛官や司会業を経て、2017年に夫の誠さん(33)と結婚。廃棄キャンドルをリサイクルしてタイ国境付近の隣国ミャンマーのキャンプ難民を支援する活動をしている。19年には自宅にカフェをオープン。集まった仲間と今年1月、手付かずとなった地元の竹林を整備する森林ボランティア団体「TAKE NO EN」を立ち上げた。
 そうした活動の中で、長崎大水害について話を聞く機会を得た。芒塚町では土石流で町外在住者を含め17人が犠牲となっている。市南部で育った内藤さんは「生まれる前のことで、ぼんやりとしか知らなかった」。仲間の一人、山田睦美さん(52)=宿町=から体験を聞き「一人一人の物語がある」と感じ、体験記を書くよう提案した。
 芒塚町で生まれ育った山田さんは13歳の時、大水害に遭った。自宅は停電し、激しい雨で塀が倒れて床上まで浸水。母親と眠れぬ夜を過ごした。外では山が崩れるようなごう音が響いた。
 一夜明けて外に出ると、向かいの山の麓にあった、幼なじみの姉妹2人が暮らす家の屋根が自宅近くまで押し流されていた。外は岩石や崩れた家屋、大量の土砂で埋まっていた。
 「救援物資をもらいに行くには、埋まっている車や崩れた家の上を越えねばならず、この辺りにまだ埋まっている人がいるかもしれないのに、と申し訳ない気持ちだった」
 体験記を書き始めた頃、山田さんは、亡くなった幼なじみや当時のことを思い起こし涙が止まらなかったという。「亡くなった人たちの分まで命を大切に生きないといけない」。そうした責任を背負った気がした。
 内藤さんらは防災イベントの開催に向け動きだした。町内には土砂災害警戒区域があり「(大水害当時と)地盤や地形は変わっていない」(内藤さん)。そこで体験記に加え、芒塚町のハザードマップや避難のポイントなどをまとめたA3判のパンフレットを500部作製。近隣住民や近くの高齢者施設に配布した。
 内藤さんは、自身の自衛官時代の知識を生かして実践的なイベントにしたいと考えている。23日午後3時から山田さんらの体験記朗読に続き防災講習会、慰霊供養。24日午前11時から竹筒でご飯を炊くワークショップなどを開く。
 幼児2人の母親でもある内藤さんは「食は心のよりどころになるもの。子どもたちの思い出となり、命をつなぐ学びになれば」と優しい表情を浮かべた。
 問い合わせは「太陽と月の酵素カフェ」(電095.894.7101)。

内藤さんらが作製したパンフレット。山田さんがつづった体験記(右)からは大水害当時の緊迫した状況が伝わる