【侍ジャパン】野茂、古田、野村が勢揃いも“銀” ソウル五輪の屈辱を忘れるな!

ソウル五輪ではチームメイトだった野茂(左)と古田(右)

【赤坂英一 赤ペン!! 】稲葉監督率いる侍ジャパン、初戦でドミニカ共和国に劇的な逆転サヨナラ勝ちを果たし、勢いに乗ったかのように見える。が、侍なら、勝って兜の緒を締めなければならない。

自国開催で2大会ぶりに復活した野球は、ひときわ金メダルの期待が高い。ただし、日本が優勝したのは公開競技第1回、1984年ロス五輪の1度だけ。以後「今度こそ金」と言われながら毎回土壇場で敗れてきた。

そこで思い出されるのは、五輪連覇を期待されながらも2位で終わった88年ソウル大会である。当時のチームはアマだけだったが、エースに野茂、正捕手に古田、主力打者に野村謙二郎と、のちにプロで名を成す実力者が勢揃い。しかも、今回の世界的コロナ禍と同様、ある種異様な国際情勢と社会状況で行われた。

その原因は、前年の87年11月29日に起こった大韓航空機爆破事件。北朝鮮の工作員・金賢姫が逮捕されて、朝鮮半島の南北情勢が緊迫していた中、厳戒態勢のソウルで五輪が開催されたのだ。

五輪出場選手も北朝鮮のテロの標的にされかねないため、日本代表選手団もソウルの宿舎にほぼ“軟禁状態”。今の東京と違い、コンビニも宅配ピザもウーバーイーツもない。20代だった野茂や古田は夜になると部屋に集まり、トランプや野球談議をしていたそうだ。

しかし「そうした雰囲気がかえってチームの結束を高めたと思う」と選手たちは話していた。また、当時アマ野球世界最強と言われたキューバの出場辞退も「いけるんじゃないか」という自信の要因になったようだ。

日本は予選リーグB組で台湾、プエルトリコ、オランダに3連勝。とくに台湾戦では野茂が先発し、延長13回にサヨナラ勝ちして勢いに乗った。予選1位通過で進出した決勝トーナメント準決勝も、主催国の韓国相手に3―1で快勝している。

その時、チーム内の雰囲気は最高潮。「決勝も絶対勝つ」「野茂が投げれば大丈夫」という声も飛び交っていたという。

ところが、野茂は首脳陣に疲労を考慮されたのか、準決勝からリリーフ待機となっていた。アメリカとの決勝で先発した石井丈裕は、ジム・アボット(のち大リーグ入り)に投げ負け、3―5で金をさらわれた。野茂は2点をリードされた終盤の2イニングに投げただけで五輪を終えている。

当時のピンストライプのユニホームと、頭文字のJが入った帽子は、今の侍ジャパンにそっくりだ。だからこそ、兜の緒を締めて戦ってほしい。

☆あかさか・えいいち 1963年、広島県出身。法政大卒。「最後のクジラ 大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生」「プロ野球二軍監督」「プロ野球第二の人生」(講談社)などノンフィクション作品電子書籍版が好評発売中。「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」(同)が第15回新潮ドキュメント賞ノミネート。ほかに「すごい!広島カープ」「2番打者論」(PHP研究所)など。日本文藝家協会会員。

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