東京五輪 亡き父へ誓った成長 バスケット男子 田中大貴 母の支えに感謝

 東京五輪のバスケットボール男子日本代表を共同主将として、司令塔としてけん引した田中大貴(29)=A東京、雲仙市出身=。その原動力の一つに、亡き父、昭敏さんへの思いがあった。「本当なら、直接見ていてほしかった。でも、きっと見てくれていると思う」。1日、アルゼンチンとの1次リーグ最終戦も77-97で敗れ、目標の「1勝」は達成できなかったが、五輪の3試合は自らの成長した姿を父に届けた舞台でもあった。
 昭敏さんが50歳で他界したのは2010年6月。ちょうど、田中が県立長崎西高を卒業して、東海大に進んだ年だった。日本代表入りしたのは3年時からで、昭敏さんは日の丸をつけた息子の姿を知らない。息子は父が心配しないでいいように、喜んでもらえるようにと活躍を続けた。
 父を亡くしてから「大貴はまた頼もしくなった」と母の克江さん(53)は振り返る。「長男の自分がしっかりしないと、と思ったんでしょう」。下には弟と妹がいて、昭敏さんが他界した当時、妹はまだ小学5年生。兄は弟妹に対しても父親代わりとなった。母の知らないところで、気掛けて2人に連絡を取る優しい一面を見せてきた。
 そんな息子がコートで躍動する姿は、家計を支えながら子育てに励んできた克江さんにとって、一番の力になっていた。「大貴の活躍が生きがいで、ここまできた。ずっと楽しませてもらっている」。田中も最大の理解者である母に対して「小さいころからずっと、好きなようにやらせてもらったおかげ」と感謝してやまない。
 日本代表として「一つのゴール」と位置付けてきた東京五輪は終わった。「本当によく頑張ったね」。おそらく母と同じ言葉を、父も掛けてくれるだろう。その言葉に励まされ、日本屈指のオールラウンダーは前進を続ける。大切な家族に、また、いい報告ができるように。

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