未知の世界を知る夏

 銭湯の行き帰りに、いつも父が“授業”をしてくれたという。2008年にノーベル物理学賞を受け、先ごろ81歳で亡くなった益川敏英さんは受賞記念の講演で、小学生の頃の昔語りをした▲砂糖問屋を営み、かつて電気技師を目指した父は、科学に明るかった。道すがら、日食や月食の原理やら、モーターが回る仕組みやら、いろいろ聞かせてくれた▲そうやって理科の面白さを学んだという。その場面を思い描いてみる。父は時に手ぶりを交えて語り、息子は「へえー」「ふーん」と言って目を輝かせる。少年には別世界を知るような幸せな時間だったろう▲気が付いたら、胸の躍るような未知の世界をのぞいている。小さい頃、若い頃のそんな経験が、その先の糧になり、人生を左右することもあるらしい。今の東京五輪でも似たような話に接する▲新競技、スケートボードの女子ストリートで、西矢椛(もみじ)選手は日本最年少の13歳で金メダルに輝いた。兄が練習する姿を「かっこいい」と思い、6歳ごろから付いて回った。兄の技をやりたがり、ぐんぐん上達したという▲五輪選手の躍動に胸を弾ませ、未知の世界へ踏み出す少年少女がいることを。夏休みに教わった何かを、糧にする子がいることを。亡き物理学者が遠い昔、銭湯に通う暗い夜道を教室にしたように。(徹)

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