両被爆地の式典に参列 二重被爆者の福井さん 「胸いっぱいに」

式典前に取材に応じ「あんなことはもう二度と繰り返したくない」と語る福井絹代さん=長崎市、平和公園

 9日の平和祈念式典に青森県の遺族代表として出席した青森市の福井絹代さん(90)=長崎市出身=は、広島と長崎の両方で原爆に遭遇した「二重被爆者」だ。14歳だった76年前の8月、2歳下の弟の故相川国義さんと共に広島で被爆、長崎に戻って再び原爆投下直後の爆心地付近に入った。90代になり「もう二度と来られないかもしれない」と今年、6日の広島から続けて両被爆地で慰霊行事に参列した。
 福井さんと相川さんは1944年、父の転勤に伴い3人で長崎から広島に移住。その後父が出征し、姉弟だけで広島で暮らしていた45年8月6日、爆心地から1.8キロの自宅で一緒に被爆。福井さんは倒壊した家の下敷きになったところを相川さんに助け出されたが、左耳の聴覚を失った。
 故郷の親戚を頼るため8日、2人で長崎行きの列車に乗った。9日昼ごろに長崎市の道ノ尾駅付近で列車を降り、爆心地付近を通り抜けて市中心部の親戚宅へ向かった。目撃したのは、3日前に広島で目にしたのと同じ惨状だった。
 「人は誰も通らず遺体ばかり。足がすくんで歩けないという弟を励まして歩いた。一番嫌だったのは、遺体を踏み越えて行かなければならなかったこと。いまだに足の裏の感触を覚えている」
 9日午前の式典開始前、あの日通った場所にも近い長崎市の平和公園で、当時の記憶をよみがえらせた。戦後は復員した父と共に上京、福井さんは53年に結婚して青森へ。長崎の式典出席は2016、18年に続き3回目だが「やっぱり、こうやって(平和祈念像を)見ると、胸がいっぱいになる」と表情を歪ませた。
 17年に84歳で死去した相川さんは生前の02年、広島原爆資料館に広島での被爆体験を描いた絵を寄贈していた。福井さんは6日の広島平和記念式典にも今回、初めて出席。その際「今まで怖くて行けなかった」という同資料館を初めて訪れ、相川さんの絵を見た。「(原爆に遭った当時を)思い出して涙がぽろぽろ出た」と振り返った。

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