車いすバスケット 鳥海連志(22) 長崎市出身 結果にこだわり進化

車いすバスケットボール男子の鳥海連志

 2016年、チーム最年少の17歳でリオデジャネイロ・パラに初出場。将来のエース候補と見込まれた鳥海連志が、自らに出した課題は「東京でメダルを。スタメンも取りにいく」。結果にこだわり、この5年間で確実に進化を遂げた。
 最大の武器はスピード。持ち点は2.5点で障害が重い方のクラスになり、得点源の選手を生かすのが仕事だった。チームから求められる役割は変わらなかったが、9位に終わった18年世界選手権後に自ら決断。「僕のオールマイティーな部分がもう少し広がれば」と車いすのセッティング変更に着手した。
 鳥海の持ち点は両下肢切断に加えて両手指欠損を含んでおり、多くの2.5点選手より体幹は安定している。ここに高さが有利に働くバスケットの特性を生かそうと、車いすの座面を従来より約20センチ高く、25インチだった車輪も26インチに大きくした。
 座面は低い方がバランスを取りやすく、車輪は大きくすれば重くなる。「スピードやクイックネスが落ちないか」。コーチ陣の反応は良くなく、確かに変更当初は動きにくかった。その中で「反対意見を言わせないように」走り込みやチェアスキルのトレーニングを重ねて強みを取り戻した。
 決断の結果、プレースタイルに厚みが出た。ゴール下で競り合えるようになり、自ら点を取りにいく選択肢が増えた。パスカットやリバウンド力も向上。そんな自分自身も含め、目指す「メダル獲得」のためにチーム全体がレベルアップしたのを感じている。
 「リオに比べて、より戦う集団になった」。手応えを胸に、自身2度目のパラで躍動する。

 【略歴】ちょうかい・れんし 手脚に先天性の障害があり、3歳で両下肢を切断。大崎中1年から佐世保WBCで競技を始め、2015年度に日本代表入りした。17年U23世界選手権ベスト5。大崎高卒業後に進んだ日体大を19年に中退、アスリート雇用でWOWOWに入社した。所属チームはパラ神奈川SC。長崎市出身。

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