骨髄異形成症候群のため17日に亡くなった落語家・笑福亭仁鶴さんには〝笑いのポリシー〟があった。
それは、とにかく面白いこと。お笑いに携わる以上、当然と言えば当然だが、それは自身の名前もネタにするほどだったという。
仁鶴さんは1962年に六代目笑福亭松鶴に入門。3か月後に「仁鶴」という芸名を与えられることになるが、こんな逸話がある。
「師匠から『お前の芸名は仁鶴や』と告げられたのがタクシーの中だったそうです。あまりに唐突なことに仁鶴さんもビックリするやら、うれしいやら。名前の由来の説明も特になかったそうですが、仁鶴さんによると、師匠が『2番目の角を曲がれ』とタクシーの運転手さんに指示したときに『2番目の角』が頭にあって、〝にかく〟→仁鶴になったとネタにして笑っていました」(お笑い関係者)
何でも笑いにするのが仁鶴さんの真骨頂なのだろう。