笑福亭仁鶴さん2大エピ! 妻と「秒速挙式」&中田カウスに手渡した「喜劇王の印」

中田カウス(右)・ボタンに突っ込む笑福亭仁鶴

落語家・笑福亭仁鶴(本名・岡本武士)さんが17日、骨髄異形成症候群のため、大阪府内の自宅で亡くなっていたことが分かった。84歳だった。仁鶴さんが特別顧問を務める吉本興業が20日、発表した。上方落語家の存在を全国に広め、吉本興業の「中興の祖」と呼ばれた仁鶴さんは、2012年11月に本紙で「笑って笑って半世紀」という連載を寄稿したことがある。ここで記した「初めて話して15日目で挙式」「チャップリンの自宅をアポなし直撃」という秘話を公開する――。

大阪・生野区出身の仁鶴さんは1962年、6代目笑福亭松鶴に弟子入り。翌年、3代目林家染丸の紹介で師匠の所属する松竹芸能から離れ、吉本興業に所属した。

劇場で高座に上がりながら、テレビ、ラジオ、ドラマ、映画、舞台など多彩な才能を発揮。深夜ラジオで生まれた「どんなんかな~」「うれしかるかる」などのギャグが流行語となった。

67年に吉本新喜劇女優で「たかこ姫」の愛称で親しまれた永隆子さんと結婚。69年スタートの「ヤングおー!おー!」で初代司会者を務め、その人気ぶりから「視聴率を5%上げる男」と評された。

仁鶴さんが吉本興業に入社してちょうど50年目となる2012年、本紙は「笑って笑って半世紀」という仁鶴さんの連載を掲載した。この中で仁鶴さんは、2017年に亡くなった隆子夫人と「初めて話してから15日目に挙式した」との秘話を明かしている。

隆子夫人とは出会ってから1年ぐらいで雑談するようになり、焼き肉に誘って初めて2人で話をした。夫人はお返しに、弁当を作って持って来てくれたという。この時のことを仁鶴さんはこう記している。

「30歳で所帯を持とうと思っていました。そんなとき、ちょうど家内の両親が島から福岡に来ていたんです。僕はそれを狙って『付き合わせてください』とごあいさつと、お願いをしに行きました。ご両親からしたら、私は何をやっているのか分からない人間ですし、不意のことでしたから、承知したような、してないような感じでしたね。まぁ若いときでしたから、そのまま大阪で式を挙げてしまいました。家内と初めて話をしてから15日目のことでした」

その後、隆子さんは〝賢夫人〟と言われ、仁鶴さんを支えた。〝おしどり夫婦〟と言われた2人は74~77年に、毎日放送のバラエティー番組「仁鶴・たか子の夫婦往来」の司会を務めたこともある。連載で仁鶴さんは「夫婦一緒に出るというのは、ちょっと恥ずかしい思いもありました」と言いつつ、夫人については「口をきいてから15日で結婚しましたけど、後悔したことはありません」と言い切っていた。

また漫才コンビ「中田カウス・ボタン」のカウスは仁鶴さんの訃報に際し「劇場の出番が終わると、深夜ラジオ番組やご自宅に伺ってはたくさんのことを学ばせていただきました。夫婦そろってヨーロッパ旅行にご一緒させてもらうなど、若い頃から、本当にかわいがっていただきました」と感謝のコメントを残したが、このヨーロッパ旅行についても仁鶴さんは連載で言及。スイスにあった喜劇王チャップリンの自宅を訪ねたことを明かした。

「チャップリン邸は白亜の殿堂でした。ピンポンを押したら、執事のような方が出てきはった。『チャップリンさんにお目に掛かりたいと思って日本から来ました』と身ぶり手ぶりで伝えました。なんとか通じたんですが、一度奥に入って出てくると『今、主人は昼寝中でして、お会いできません』と言われてしまった…。でも、名刺よりちょっと大きいぐらいの紙に『チャーリー・チャップリン』と書かれたサインを1枚くれはりました」

このサインを隆子夫人は「記念にしましょう」と言ったが、仁鶴さんは「カウス君にプレゼントしました。小さいものでしたから、まだ持っているか分からないですが」。果たしてカウスはいまでも持っているのだろうか?

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