【昭和~平成 スター列伝】衝撃の掟破り公開処刑! 力道山がさらしたミスターXの男前素顔

ミスターXにラフファイトで攻められる力道山

公の場でマスクを着用することが常識化した現在、他人のマスクを強引に奪い取った場合は言語道断の重罪となる。プロレスでも「敗者マスクはぎマッチ」など明確なルールがない場合に、相手の覆面をはぐことはプロレス道に反する許されない無法行為となる。

意外だがプロレスの祖・力道山は、興奮するあまりによくこの行為を働いた。1961年には、大人気を誇った覆面男ゼブラ・キッドのマスクを切り裂いている。また、事前から「挑戦者が負けたら覆面をはぐ」とのルールが決まっていたものの、同年7月21日大阪で行われた“赤覆面”ことミスターXとのインターナショナル選手権は日本全国に衝撃を与えた。

両雄は同年6月29日田園コロシアムの「第3回ワールド大リーグ戦」決勝戦で激突。力道山が3連覇を達成した。5月23日大阪のインター選手権は1―1の引き分けに終わっており、3度目の大一番となった。

本紙の記事を見てみよう。「1本目は鉄片の凶器を覆面に仕込んだXが頭突きに出た。およそ十数発の殺人頭突きが力道山の頭にさく裂。たちまち力道山の額が割れて大出血。血を見たXは狂ったように力道山を持ち上げてロープ越しに放り投げ、はい上がろうとするところ、再三にわたって叩き落した。グロッギーの力道山だが、不意をついて横からはい上がると、空手チョップを浴びせ、ロープに宙づりになったXをメチャクチャに蹴りまくり、リング下に叩き落し、Xは戦闘不能でカウントアウトとなった。2本目はロープ際で左ヒザを押さえて『あと5分待ってくれ』と懇願したが、Xの懇願もむなしく開始のゴング。力道山は襲いかかるとキック1発。Xは全くの無抵抗状態。沖レフェリーがカウントアウトを宣告し、沖はXを押さえつけると覆面をはぎとった。その正体はビル・ミラー。アーキンスとライトに抱えられるように控え室へ消えた」(抜粋)

まだマスクマン自体が珍しい存在で、ミスターXは米国でもAWA世界王座を獲得した実力者でこの年が初来日。リング上の「公開処刑」は日本のファンに大きな衝撃を与えた。マスクがはがされた瞬間、場内は沸きに沸いたようだが、本紙の追及は厳しかった。まるで図っていたのか、ここぞとばかりにビル・ミラーの正体を暴き出している。

「正体はニューヨーク州認定世界チャンピオンのビル・ミラーだった。ビルは1927年6月5日米国オハイオ州フレモントに生まれた。兄弟は男4人、女2人。弟のダンもプロレスラー。獣医を目指しオハイオ州立獣医学科に進んだ。アマレスでは同校代表となり砲丸投げ、円盤投げで全米学生選手権を制し、アメリカンフットボールでも全米学生オールスターに選ばれた」

昨日まで覆面をかぶっていた謎の男の正体は必要ないほどに白日の下にさらされた。さらには「ふだんは大学出のインテリらしい30歳の紳士。弟と組む時は覆面をつけてミスターXを名乗り、素顔で試合をする時はビッグ・ビル・ミラーを名乗る。リング歴はアマチュアを入れて15年。194センチ130キロ」と、もう言い訳ができないほどに個人情報が記されている。マスクマンにとっては死刑判決である。

その後、ミスター・Xは何度かマスクをかぶりつつ素顔で試合をするようになり、65年からは素顔でドクター・ビル・ミラーとしてWWWF(現WWE)に参戦。世界王者ブルーノ・サンマルチノのライバルとして抗争を展開する。その後も素顔で4回来日し、引退後は獣医を開業した。力道山にマスクをはがされて開眼したのかもしれない。(敬称略)

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