【山崎慎太郎コラム】新聞で選手を批判する鈴木監督…8月7連敗で休養

1995年は苦戦続き。鈴木監督は途中休養した

【無心の内角攻戦(17)】選手と鈴木啓示監督との確執が深刻となり、1994年オフに阿波野秀幸さん、吉井理人さん、金村義明さん、野茂英雄らが抜け、残ったもんでやるしかない。戦力ダウンでも優勝を目指して、というのは変わらない。でも…うまく回らないですよ。乗れそうになっても乗っていけない。

鈴木さんも悪い人ではないんですが、監督をやっていたころは自分の我を通しすぎたのかな。誰も人柄をわからないまま終わってしまったような…。今、お会いしたらいい方なんですけど、あのころはいい方とは思われへんかったですねえ(笑い)。新聞で選手の悪口を言うんです。近鉄って普段あまり記事にならないのに、出たらそういう話って気分悪いでしょ。僕が見て「またいらんこと言うてるわー」てなるんだから当事者はもっとテンション下がるでしょう。

前監督の仰木彬さんはマスコミを味方につけても、選手がミスしたとか、いっさいそんなの言わなかった。鈴木さんはそれだらけ(笑い)。記事が出たからといってフォローするわけでもないし、そんなのがいっぱい重なった。僕は成績を残していたので何も言われなかったんでラッキーでした。

95年は開幕投手をさせてもらいましたけど、自分がエースなんてまったく思えない(笑い)。僕の中でエースは阿波野さんであり、野茂だし、貯金がたくさんできて、投げる試合は全部勝つのがエース。そういう人たちを見てきたのでいなくなって急にそんなん言われても自覚なんて持てないっすよ。いまだに「そのころエースだった」と言われると「やめてくれ、こそばい」ってなる。おこがましくて。あの時期に1番手であったというだけです。僕は12勝しても10敗(94年)するとか、とんとんの投手。15勝して5敗くらいならすごい投手になったと思えるけど、95年も10勝12敗。ずっと一緒やん(笑い)。

その年は足をケガしているのに石井浩郎さんの「4番打者の連続先発出場記録」を更新させるとかで、そのためだけに1打席だけ立たせて交代させるとか…。よくわからんかったですね。逆に石井さんが一番嫌だったでしょうし、球団としたら取らせたかったということでしょう。なんかあったらもめてぐちゃぐちゃしている。報道も面白がってあおってどんどん監督との溝が大きくなった気がします。

ブライアントもシーズン途中に退団し、7月に5連敗で最下位に転落すると、8月に7連敗を喫したところで鈴木さんが休養になりました。負けが込んできてチームも勝てそうな雰囲気もないし、何かあるかもね、くらいは思ってましたよ。この後どうなるんやろ…。水谷実雄さんが代行になりましたけど、チーム一丸とはならず、最下位に終わりました。さらにオフにはドラフト1位指名したPL学園の福留孝介から入団拒否ですわ。

☆やまさき・しんたろう 1966年5月19日生まれ。和歌山県新宮市出身。新宮高から84年のドラフト3位で近鉄入団。87年に一軍初登板初勝利。88年はローテ入りして13勝をマーク。10月18日のロッテ戦に勝利し「10・19」に望みをつないだ。翌89年も9勝してリーグ優勝に貢献。95年には開幕投手を務めて近鉄の実質エースとなり、10勝をマークした。98年にダイエーにFA移籍。広島、オリックスと渡り歩き、2002年を最後に引退した。その後は天理大学、天理高校の臨時コーチや少年野球の指導にあたり、スポーツ専門チャンネル「Jスポーツ」の解説も務めている。

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