体操・内村に呼応した伊調馨の〝引退観〟「今の状態をピンポイントで表す言葉がない」

東京五輪女子レスリング50キロ級の表彰式に登場した伊調馨さん

【取材の裏側 現場ノート】「一流は一流を知る」って、こういうことか…。8月7日夜、東京五輪取材を終えて千葉・幕張から帰宅中の記者はなかば興奮していた。その日はレスリング会場の幕張メッセに五輪4連覇の伊調馨さん(37=ALSOK)が来場。鮮やかな着物姿のレジェンドを通路で発見すると、とっさに呼び止めて「実は、内村さんが――」と話し掛けていた。

さかのぼること2週間前、体操界のキング・内村航平(32=ジョイカル)は予選で鉄棒から落下し、競技初日で終戦。囲み取材では吹っ切れた表情で「土下座したい」「僕はもう主役じゃない」と敗戦の弁を並べ、3歳から始めた体操について「もういいのかな」と口にした。瞬間的に「引退」の文字がよぎった記者は「今現在、自身の引き際をどう考えているのか?」と質問。少し考えた末に内村は「僕が体操を永遠にやめないかもしれないじゃないですか」と切り出し、こう続けた。「別にいつ引退するとかって特に考えていないし引退することが終わり方の正解かっていうと、僕は違うかな、と。伊調さんも『引退します』って言っていないですし」

唐突にレジェンドの名前が出た。確かに伊調さんは東京五輪出場を逃した後も正式に引退を表明していない。その状況を引き合いに出したキングは「僕は競技が好きなので、形的には引退している感じでも、別に引退宣言とかってする必要あるのかなって最近、思っていますね」と吐露した。

安易に「引き際」というワードを使った無粋な質問を猛省。そして、内村はなぜ「伊調馨」の名前を出したのか? と数日間、考えを巡らせていた。そんな折に本人と遭遇したのだからチャンスとしか言いようがない。記者が内村とのやり取りの一部始終を伊調さんに伝えると「内村さん、私の気持ちをすごい代弁してくれましたね」と笑みを浮かべた。自身の境遇を重ね合わせたのだろうか。目の前の熱戦を眺めながら、伊調さんは「自分の今の気持ちをピンポイントで表す言葉が見つからないんですよ。やめているのか、やめていないのか。今も好きで競技を続けているので」と胸の内を明かした。

内村は10月の世界選手権(福岡・北九州)に出場。体力に限界が訪れるまで体操に向き合い続けるだろう。伊調さんもレスリングを追究する姿勢は1ミリも変わっていない。現役と引退に「線」を引くこと自体がナンセンス。彼らは金メダルを幾つ取ろうが、まるでグラデーションのように境目なく競技に没頭し続けるのだろう。

2人の超一流による「感性の一致」を目の当たりにした記者は新たな疑問を持った。冬の王者・羽生結弦(26=ANA)はどう考えているのか。また一つ、宿題ができた。

(五輪担当・江川佳孝)

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