【昭和~平成 スター列伝】59歳“鉄人”テーズから32歳の猪木へ!バックドロップ伝承劇

13年ぶりの一騎打ちはテーズいきなりのバックドロップで幕を開けた

どんな競技でも不滅の大記録が更新されたり世代が交代した瞬間は、言葉にならない感動が生まれる。1975年10月9日蔵前国技館で“燃える闘魂”アントニオ猪木が、20世紀最強のレスラーと呼ばれた“鉄人”ことルー・テーズから初勝利を挙げたNWF世界ヘビー級戦は、歴史的な一戦だった。

当時、猪木は脂が乗り切った32歳。テーズは59歳。年齢差を疑問視する声もあったが、鉄人の格や力は落ちておらず「世紀の一戦」であることは間違いなかった。両者の国内でのシングル戦は、62年5月3日鹿児島のワールド大リーグ戦公式戦(8分3R)1度のみ。テーズが1R4分45秒、まだ若き日の「猪木寛至」をバックドロップで葬っている。

73年10月14日蔵前では猪木、坂口征二組テーズ、カール・ゴッチ組の世界最強タッグ決定戦が実現し、猪木組が2―1で勝利したが、両者は直接勝敗に絡んではいない。13年ぶりのシングル戦とあって日本中のファンが注目する一戦となった。

決戦の1週間前に来日したテーズは巡業に帯同せず、1人黙々と新日プロ道場で連日2時間以上、汗を流し、決戦前日まで調整を続けた。ダミーをバックドロップで投げ捨て「来日前に1日2回の練習を続けてきたから、もう十分すぎるほどだ。歴史に残る試合をしてみせる」と余裕を見せた。

一方の猪木は決戦前に「私にバックドロップを教えてくれた師。強引でもバックドロップ一発は仕掛ける。俺がプロレスを始めた時、テーズはすでに鉄人として世界に君臨していた。戦いたいと思い続け、やっと夢が実現した。今度が最初で最後になるでしょう。勝ち負け抜きに戦ってみたい。歴史に残るようなプロレスの神髄をファンに知ってもらうため俺は戦う」と不退転の決意を語っている。

そして決戦当日。レフェリーは“鳥人”アントニオ・ロッカ。テーズがいきなりのバックドロップを炸裂させるや、ヘッドロック、ヘッドシザース、バックの奪い合いというシンプルかつハイレベルな攻防が続く。テーズは15分過ぎ、場外に上がってくる猪木にロープ越しのバックドロップを放つ。猪木も負けじとヘッドロックに捕らえると、待ってましたとばかりにバックドロップ。体勢は十分ではなかったが、本紙は「それはまさに壮大なロマンだった」と記している。

そして17分43秒、バックフリップのように横から抱え上げ、新技ブロックバスターホールド(当時の表記は岩石落とし固め)が決まり、猪木が歴史的な一戦を制した。猪木は「恩返しだか何だか分からないが、13年前にテーズの胸を借りた時『何て鉄のような筋肉なんだ』と思った。13年前と同じだった。あれは人間じゃない。勝ってうれしいという実感はない。さびしいような奇妙な気持ち。俺もテーズの年まで頑張る」と神妙な表情で語っている。

一方のテーズは「肩は上がっていた」と主張しつつも「私はこれまで力道山や馬場という日本の一流のレスラーと戦ってきたが、相撲出身の力道山は突進してくるファイターだった。その点、猪木はフリースタイルの基本を身につけている。日本が生んだ最高のレスラーだろう。完成されたバックドロップを次代に受け継いでくれるのは猪木だと感を強くした。勝負とは別にうれしい」とすがすがしい表情で語った。まさに両者とも「ノーサイド」の精神に満ちていた。

2015年11月15日両国国技館で、当時65歳だったミスタープロレスこと天龍源一郎が、27歳のオカダ・カズチカ(新日本プロレス)を相手に引退試合を行った際の感慨と同様だったのだろうか。プロレスが独特の伝統文化ならば、猪木―テーズ戦はまさに万人の胸を打つ「伝承劇」だった。(敬称略)

© 株式会社東京スポーツ新聞社